40.不思議な人
Yuli
ある日僕は突然校長室に呼ばれて、「奨学金を受けるように」と言われた。
良く分からないんだけど、ある田舎のお金持ちが僕のことに興味を持って、学費から寮費から、とにかく勉強に必要なお金を全部面倒見てくれると言っているのだそうだ。
そのお金は卒業してからも返さなくていいし、卒業後の進路も僕が自由に決めて構わない、条件はただひとつで、週に1回その人に勉強の進み具合を報告して、その人から送られてくる質問に答えればいいのだという・・・・。
いきなり天から降って湧いたような話に僕は正直びっくりしていた。
だけど、授業料を払わなくて良くなれば、母さんもちょっとはラクになるはずだし、先生も何度も勧めし・・・・・僕は戸惑いながらも、その場で書類にサインした。
その人がどこのどんな人なのか校長先生はは教えてくれなかった。ただヨカナーンさんという、その人の名前だけを僕に教えてくれた。
僕は、その日のうちに見知らぬその人にお礼の手紙を書いた。
ヨカナーンさんからはすぐに返事が来た。
ワープロできれいに打たれた文章はちょっぴり素っ気無くて、「どうして僕に興味を持ってくださったんですか?」という僕の控えめな質問はきれいに無視されていた。
ありきたりの励ましの言葉が並んだ後に、「今勉強している内容と、その中で興味を持っていることを教えてください。」という質問が書いてあった。どうやらこれが今週の課題らしい。僕はちょっぴり緊張しながらも、すぐに返事を送った。
ヨカナーンさんからはすぐに二度目の返事が来た。
僕はその返事を見て飛び上がりそうなくらい驚いた。
びっくりしたのは、僕が「プロテキアのような険しい山岳地にどうしてあんな豊かな文化が芽生えたのか僕には想像もつきません」 と感想めかして書いた一言に対して、ヨカナーンさんが便箋10枚に及ぶ長い返事をよこしたことだった。
返事にはこう書かれていた。
「想像しても答えが出るわけはありません。自分でお調べなさい。とりあえず他にも峻険な山岳地で文化が栄えた都が有名なものだけで古代に3つあります。それは何か、調べてごらんなさい。そしてその共通点を調べること。自然条件だけではなく、歴史的背景、民族の特徴も重要な要因です。参考になりそうな書物を上げておきます。図書館でも比較的手に入りやすいものを上げましたが、無ければ先生に言ってください。すぐに取り寄せてもらえるはずです。」
僕は一気に緊張した。
僕はようやくこの不思議な人物が僕に要求しているレベルがとてつもなく高いことを認識した。こんなの、どう考えても初等クラスの問題じゃなかった。
だけど、考えてみればそれも当然のことで、僕の学費から生活費から全部負担して、他にも必要なものはすべてバックアップすると宣言しているのだから、そんなの慈善事業であるわけがない。それなりの努力を要求されるのは当然と言えば当然だった。
そして、主星に来てから一人で何でもやって僕を育ててくれた母さんのことを考えると、僕はやっぱりこのチャンスを無駄にすることはできないと腹をくくった。
僕は図書館にすっ飛んでいくと、ヨカナーンさんのリストにある本を片っ端から全部借りた。ないものは遠慮なく注文した。図書館の人は先生から話を聞いていると見えて、すぐに手配すると約束してくれた。
その日からの1週間は地獄のようだった。
夜寝る時間もなかった
来週課題に答えられずに白紙でレポートを出すことを考えると、心配でとても寝てなんかいられなかった。
僕はそれでもどうにか必死でレポートを書上げることができた。
正直言って、この内容じゃヨカナーンさんを満足させられないような気がしてた。本を読んで、それをまとめるくらいの時間しかなかったんだ。 子供の作文だと笑われるかもしれない。だけど、本当にそれが僕のせいいっぱいだった。僕はドキドキしながらその週の報告をヨカナーンさんに送った。
案の定ヨカナーンさんの評価は厳しかった。
「きれいにまとまってはいるようですが、答えになっていませんね。問題はもっと本質的なところにあります。
基礎的な知識は身についたはずですから、少しポイントを分けてみましょう。産業について考えてごらんなさい。水田がない替わりに彼らはどうしましたか?」
この調子で、通信教育みたいな手紙のやり取りが続いた。
最初はかなりしんどかったけど、僕は段々このやりとりが楽しくなってきていた。
僕は毎週レポートを出して、ヨカナーンさんは必ず返事をくれた。
ヨカナーンさんは僕の質問にいつもびっくりするくらい細かく返事をくれた。 このためにどれだけ時間を割いてくれているのだろうかと思うと、僕はいつも申し訳ない気持になった。
ヨカナーンさんは僕の質問に直接答えることはせずに、いつもヒントだけやたらたくさんくれた。
ヨカナーンさんは僕にいろんなことを聞いてきた。調べれば何とか答えられるような質問だけじゃなくて、意見とか考え方を聞かれることもあった。
歴史問題をどう評価するかとか、政治問題について意見を聞きたいとか、倫理や宗教のことなんかを聞かれると僕はまるでお手上げだった。
どうしても答えられないとき、僕は仕方ないから考えに考えて悩んだ道筋だけを延々と書いてヨカナーンさんに送った。
ヨカナーンさんは別段僕を責めたりはせずに、「決まった答えなんか、ありませんけど・・・」と断った上で、自分の意見を書いた長い長い返事と、そしてまた山のような資料のリストを送って寄越した。
ヨカナーンさんは、いつも何だか僕に失敗させようとしてるみたいだった。無理なことを言って僕を失敗させて、失敗した理由や足りなかったことを、ちょっとだけ見せてくれる。そうすると僕は何となく、どこがいけなかったのか、どうすればよかったのか、分かってくるような気がするんだ。
学校の先生とは全然違う。学校の先生は、決まっていることを教えてくれる。ヨカナーンさんの授業には決まった答えはひとつも無かった。
だけど僕は、少しずつそれが面白いと思うようになっていた。
いつかヨカナーンさんを唸らせるようなすごいレポートを書いてみたい、というのが僕の密かな夢になっていた。
ヨカナーンさんは、例えどんなに僕の成績が良くても、学校や地区全体で賞をとっても誉めてくれることは一度も無かった。それどころか、一回運動の成績が悪いと言って厳しく叱られたことがあった。
「どんなに頭が良くて成績が良くても、それを使うことが出来なければ意味が無いでしょう。あなたの学問は博物館に飾っておくためのものですか?私はそんなもののために、あなたにお金を払っているつもりはありませんよ。あなたはもっと体を鍛えなければいけません。覚えたことを生かすときには体力や精神力が必要なのです。どうすればよいか、すぐに、あなたなりに考えてください。今後もこの点が改善されないようであれば、私はあなたから手を引かざるを得ません。どうかこれ以上、私を失望させないで下さい。」
ヨカナーンさんからこの手紙を受け取って、僕は正直かなりへこんだ。
他の成績は、全部Aだったのに・・・・・それにはひと言も触れずに「これ以上失望させないで下さい。」
つまり失望したんだ。僕に。体が弱いから。
僕は、その晩食事に手をつける気すらおきずに、寮の屋上で朝まで泣き明かした。
これまで、母さんにも先生にもアルフレッド叔父さんにも、こんなにひどく叱られたことはなかった。
僕はもう死んでしまいたいと思うくらい、・・・僕なんかこの世から消えてしまえばいいのにと思うくらい、恥ずかしかったし、悲しかった。
何度も泣いたり泣き止んだりを繰り返しているうちに夜が明けて、僕は、泣いていても仕方が無いので立ち上がった。
寮の友達が起きる前に、僕は早朝の校庭を走り始めた。授業で走らされる以外にほとんど走ったことが無かった僕は、何周もしないうちに息が苦しくなって、足元がふらふらし始めた。だけど、2-3周走ったくらいじゃどうにもならないということは分かったので、僕は我慢して走りつづけた。頭がもうろうとして、吐き気がしてきて、前後左右がゆらゆらしてわけがわからなくなって・・・・・・気がついたら僕は医務室で呆れ顔をした先生達に取り囲まれていた。
とにかく僕はその日から毎朝走り始めた。友達に頼んで昼休みの球技にも入れてもらった。最初はほとんど球拾い専門だったけど。 そんなこんなで僕の運動の成績はちょっとだけあがった。他の成績は少し下がった。
僕は他の成績が落ちたことで、またヨカナーンさんに叱られるのではないかと、びくびくしながら、その週の報告を出した。
ヨカナーンさんの返事は、こうだった。
「あなたは努力しているようですね。安心しました。しかし、努力は続けてこそ意味があるのです。次回の報告に期待しています。」
「失望」が「期待」に変わっていた。
僕は、この賞賛とは程遠い誉めコトバに有頂天になった。何か運動部にでも入って、そこで賞でも取れたら、その時はヨカナーンさんは喜んでくれるだろうか?僕のことを誉めてくれるだろうか?と、そんな途方も無いことまで考えたりもした。
ある時僕は、報告の手紙に自分の写真をいれた。
学校で学生証の写真を撮った時の予備が戻ってきたので、たまたま手元にあったのだ。
僕にはあまり写真が、ない。
小さな頃の写真は全然無くて、何でも昔うちが火事になって全部焼けてしまったのだと母さんはそう説明したけど、それはちょっぴりウソくさかった。母さんはウソをつくのがめちゃくちゃ下手で、うそをつく時はいつも他所を向いてたり、視線がきょろきょろしてるから、すぐに分かってしまうのだ。
でも僕は母さんを困らせたくはなかったから、あんまり根掘り葉掘り聞きたいとは思わなかった。多分、父さんのことと何か関係があるんだろうと、漠然とそう思っていた。
とにかく学校に入ってからの写真はこれ1枚で、僕はそれをなぜか、ヨカナーンさんにあげたいと思ったんだ。
本当なら母さんが帰ってきたときに渡してあげるべきなんだろうけど・・・・だけど、母さんは帰ってくればまた面会日に会えるし、ヨカナーンさんも、顔も知らない子供にお金を出すよりも、多少は知ってたほうが気持がいいんじゃないだろうかと・・・・・。
・・・違う。そうじゃなくて。
とにかく、見せたかったのだ。僕を。
何でか分からないけど。
それに僕もヨカナーンさんを見たかった。
運がよければ、お返しにヨカナーンさんも写真を送ってくれるかもしれない。
僕のイメージの中のヨカナーンさんは、大きくて、背が高くて、とても知的で意志の強い人だった。 何があっても小揺るぎもしないで、どんな質問にもたちどころに答えてくれる人・・・・。これは、僕の胸の中にある「ある人」のイメージとかなり一致しているような気がした。
・・・・・その人は僕にとって、憧れの人物だった。
ヨカナーンさんの返事の中には、残念ながら写真はなかった。
だけど、その週の手紙と一緒に、ヨカナーンさんから僕にひとつプレゼントが届けられた。
四角い固い包みを開けると、中は大判の写真集だった。
いろんな星系の、いろんな美しい場所を写真に撮ったもので、どの写真もすごくきれいでわくわくするようなものだった。
僕は頁をめくるたびに心臓が痛くなりそうなくらい興奮した。
写真でこんなに泣きそうになるくらい感動したのは初めてだった。
だけど、僕を本当に心の底から熱狂させたのは最後の1ページだった。
最後のページには小さな四角い紙が挟まっていて、それにはペンでこう書かれていた。
「親愛なるユーリへ 写真をありがとう」
それは、初めて見るヨカナーンさんの直筆のメッセージだった。
絶対代筆じゃなかった。そのくらい僕の頭の中にあるヨカナーンさんのイメージと一部の狂いも無い筆跡だったのだ。
ありきたりのザラ紙にペンで書かれたその文字は、流れるように優雅で迷いが無かった。
「親愛なるユーリへ」
それも初めての呼びかけだった。
ヨカナーンさんは僕のことをいつもオブライエン君、と呼んでいた。
「親愛なる」がついたのも、はじめてである。
僕はその四角い紙を厚紙に貼って机に飾り、その日は一日贈られた写真集のページを何度も引っくり返しては、ため息をついて過ごした。
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