42.荒れ野の天使

Alfred

「アンジェさん・・・」

ノックしても返事がない・・・。


デッキにでも出ているのかとそっとキャビンのドアを開けると、彼女は長いすの背にもたれたまま眠っていた。

その子供みたいな安らかな寝顔に・・・・俺は思わず見とれて、立ち尽くしてしまった。

アンジェさんは、農家のおかみさんみたいなだぶっとしたドレスの上に、真っ白な更紗の布を体に巻きつけるように羽織って、口元に少し微笑みを浮かべながら安らかな表情で寝息をたてていた。

・・・・・当たり前だ。
ここまで旅なれた男でも音をあげるくらいの強行軍だった。俺だって油断して「疲れた!」ってこぼしそうになったことが何度もあった。

だけど、この人は負けないのだ。
こんなちっちゃな体をして。こんな優しい表情をして。

いきなりのスコールにずぶ濡れになっても、初めて馬に乗って何十キロも走らされても、足を棒にして何日も駆けずり回って、手がかりひとつなくっても、この人は笑うんだ。
笑って俺を振り返って「じゃあ、次に行きましょうか?」って、そう言うんだ。


普通こういうとき、女の人は泣くもんだと思ってた。
意気消沈して、不安になって泣き出す彼女を、励ますのが俺の役目だと思ってた。程よいところで「後は俺に任せて」って、説得して連れ帰ればいいと思ってた。

ところが事実はまったくその逆だった。
この人のどこから湧いてくるんだろうと思うほどのパワーが、終始俺をぐいぐいと引っ張っていた。

見知らぬ町にたどり着くたびに、この人は物怖じもせずにあたりの人をとっ捕まえて声をかける。

―――『人を探してるんです。見覚えありませんか? 背が高くって、痩せてるけど肩幅ががっしりしてて・・・そう、背はこのくらい。肩はこのくらい。目はグレーに見えるんだけど、良く見るとブルー。色白で、炎天下でも日焼けしないんです。こう裾まで届くような長衣を着ていて、ちょっと学者か先生みたいな雰囲気のある人なんです。落ち着いて優し〜い感じで、人当たりが良くて、ニコニコしながら話して、あいづち打ちながらこんな感じでうなずくんです。見たことないですか?』

言葉が通じようが通じまいが、身振り手振りにへたくそな絵まで描いて、彼女はとにかくこれだけのことを相手に伝えてしまう。
そして不思議なことに、彼女に声をかけられた人は誰一人迷惑そうな顔もせずに、心から「役に立てなくてすまない」という顔をして首を振りながら立ち去っていくのである。


「アンジェさん・・・。風邪引きますよー。」

気を取り直して歩み寄ると、寝息を立てていたアンジェさんが、手のひらに握り締めた白い布をきゅっと引き寄せるようにして、少し、笑った。

―――ああ・・・そうか。

それで俺は気がついた。
アンジェさんが大事そうに体に巻きつけてる白い更紗の布は、良く見るとターバンの生地だった。

――おじさんのことを考えてるんだ。 だからこんなに幸せそうにしてるんだ。


だけど俺は正直、そんなアンジェさんをみてると途方にくれてしまう。

だってこれは、あまりにも雲を掴むような話だった。
冷たいようだけど、冷静に判断して、今回の旅でおじさんを見つけられる可能性はほとんど皆無だった。
何一つ手がかりがないまま、この旅が終わってしまったら・・・・
こんなに一生懸命になっているアンジェさんが、その時どんなに傷つくかと思うと、正直やりきれない・・・。

どんなに悲しむだろう。
どんなにか泣くだろう。

だけど俺はむしろこの人を思いっきり泣かせてあげたかった。
背負い込んでいる重荷を「もういいから下ろしなよ」って言ってあげたかった。

籍を入れたのは行きがかりと、親父のためだったけど、俺はもうこのまんまでもいいと、ずっとそう思ってる。
あなたの気が済んで、あきらめて、泣き止むまで・・・その後、ずっとずっと先までだって、俺は付き合う覚悟はとっくにできているんだけどな。


「 ん・・・?」

微かな身じろぎと共に、アンジェさんがぽっかりと目を開けた。
吸い込まれそうなきれいな緑の目。

「あっ、あ〜っ!!ごめんなさいっ!あたし寝ちゃってた??」
「爆睡してましたよ!」
「ごっ、ごめんなさいっ!」
アンジェさんは慌てたように椅子から飛び上がると、真っ赤になったまま手に持っていた更紗のターバンをくるくると器用にたたんだ。

恥ずかしがって慌ててる仕草がたまらなく可愛らしくて、・・・・俺は逆に見ないように目をそらすと話題を変えた。

「でも、アンジェさん。どうして急にルナに行こうなんて言い出したんですか?」
「うん・・・。今になってちょっと、ガランの町で聞いた話が気になっちゃって・・・。」
「あの突然現れて追ってくる海賊船とドンパチやったっていうターバンの人物のことですか?・・・だって、アンジェさんが違うって言ってたじゃないですか?おじさんは殺されかかってもそんなことしないって・・・。」
「うん。そうなんだけど・・・ちょっとひっかかることがあって。」
アンジェさんはちょっと首をかしげて考え込むような表情になった。

「・・・ひっかかることって?」
「ちっちゃい子をね。抱き上げたんですって。その人・・・。 それで『男なら泣くんじゃない』って・・・そう言ったんですって。・・・あのね、 あの人ユーリが泣くとよくそう言って叱ってたの。『ユーリはまだ小さいんだから』って私が言うと、『赤ちゃんでも年寄りでも同じですよー』って・・・。」

「・・・・・・それだけですか?」
「うん!」
にこっと笑って俺を振り返ったアンジェさんは、苦笑いしている俺の表情を見て、急に困ったような申し訳なさそうな顔になった。

「ごめんね、アルフ。あちこちひっぱりまわしちゃって。・・・ねぇ、ルナには王立軍も駐屯してるし安全な町なんでしょう?ついたら今度は私一人で行くから。」

的外れに慌ててるアンジェさんを見て、俺は微笑んだ。

「ダメですよ、アンジェさん。お手柄を独り占めしようったってそうはいきませんからね!二人で叔父さんを見つけましょう。それまで俺、あなたの行くところどこにだって着いていきますからね!」

「・・・アルフ・・・・。」

アンジェさんがふと笑顔になったその瞬間。


どぉおおおん―――と、鈍い音がして、キャビンがぐらりと傾いた。

「アンジェさんっ!」
バランスを崩してアンジェさんが床に倒れそうになり、俺は慌ててその体の下に滑り込んだ。

どぉおおおん―――・・・どぉおおおん―――。

断続的に腹に響くような爆発音と振動が走り、俺達は重なり合ったまま、床を滑って壁に激突した。

「アルフ!」
自分ををかばったまま壁に激突した俺を見て、アンジェさんが悲鳴みたいな声をあげた。
「あぁ・・・大丈夫。・・大丈夫ですから・・。」
俺は落ち着かせようとアンジェさんに笑ってみせてから、彼女の手をとって床を這って移動すると、彼女に頑丈な木製のベッドの足を握らせた。

「しばらく動かないで。ここで待っててください。・・・俺、様子を見てきます。」
「アルフ・・・危険じゃないの?」
「大丈夫。すぐに戻りますから・・・。」

キャビンを出ないでくださいね。―――そう念を押すと、俺はあわただしくキャビンを飛び出した。

こんな光景には以前にも出くわしたことがあった。
恐らく、・・・この船は砲撃されているのだ。海賊船か何かに・・・。

安全な空域のはずだった。もうルナからはそう遠くない。
何かあったらルナから王立軍が出動してくるはずだった。

既にそこらじゅうで悲鳴や怒号が飛び交っていた。

とにかく人が集まるところで情報を得ようと、ラウンジに向かいかけた俺は、逆方向から走ってくる人ごみにすぐに足を止められた。

「すみません。なにがあったんですか?」
「ばかっ!逃げろ!海賊だ!」
呼び止められた男は、突き飛ばさんばかりの勢いで俺を引き剥がすとオペレーションルームの方角に転がるように走っていった。

・・・・まさか?既に敵に乗船されているんだろうか?

立ち止まった瞬間。
鈍い音がしたかと思うと、今度は立て続けに防火用のシャッターが降りてきた。

狭い廊下に閉じ込められた人々の間から悲鳴が巻き起こる。

慌てるひまもなく、今度はダクトから白くにごった空気が一気に流れ込んできた。
生暖かい空気からは鼻を突くような刺激性のある香りがした。
悲鳴を上げていた人々がバタバタと床に崩れていく。

―――毒ガス。

慌てて、袖で口元を押さえたときには、もう足下がおぼつかなくなっていた。

頭の芯がしびれていく中で、俺はたったひとつのことだけ考え続けていた。

アンジェさん・・・。
アンジェリーク。

倒れるわけにはいかない。
彼女を守らなきゃ。

彼女を・・・・彼女だけは・・・・。


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