52.対決
Angelique
署名入りの離婚届を手渡したとき、アルフレッドは何ともいえない表情をした。
「これ、どうしても提出しないとダメですか?」
「出してください。・・・必ず。」
苦しげな表情で言うアルフに、私はあえてきっぱりと決め付けた。
一緒に旅をしているうちに、アルフの気持ちは何となく伝わってきた。
中途半端に甘えちゃいけない。それは相手に対して、とても残酷なことだった。
「アンジェさん。・・・ 俺達が籍を入れて3年になりますよね?知ってると思うけど、後2年待てば、別れてもそのまま市民権はあなたに残ります。
そうしませんか?・・・いや、是非、そうしてもらえませんか?」
アルフはあくまでも優しかった。
どこまでも私たちのことを考えてくれていた。
だからなおのこと、その気持ちを、受け入れるわけにはいかない。
私はアルフに向かってにっこりと微笑みかけた。
「早くエドワードの籍に戻ってあげて。・・・・ステキなお嫁さんをもらってご両親を安心させてあげてちょうだい。」
「・・・・分かりました。」
そう言ってアルフは、聞こえるくらい大きなため息をついた。
「あの・・・お友達を紹介してもらう件なんですけど・・・ あの約束、やっぱりキャンセルにしてください。」
「えっ?」
「あなたよりステキな人なんかどうせいるわけない。・・・お気持ちだけ、いただいときますよ。」
「・・・・・・。」
「あはは・・大丈夫ですよ。俺、あきらめはいい方ですから・・・。しつこくしてあなたに嫌われたら元も子もないし・・・せめて友達でいたいですからね。・・・そのくらいはいいでしょう?」
「・・・・アルフ・・・。」
「いいですか?友達ですからね?何かあったら必ず相談してくださいね。そうでないと親父じゃないけど『友達甲斐がない』って、うらみますよ。」
「分かったわ。アルフレッド・・・ありがとう、頼りにさせてもらうわ。」
アルフの温かい瞳に、私はもう一度感謝の気持ちを込めて微笑みかけた。
市庁舎の前でアルフレッドと別れると、私はアパートに向かって歩き出した。
取りあえず、また仕事を探さなくちゃいけない。
取りあえず、生きていかなくちゃ・・・。
大通りに通じる石段に足をかけたその瞬間、背後から澄んだ声が私を呼び止めた。
「ミセス・オブライエン?」
振り向いた私の目の前には、美しい黒髪の女性が立っていた。
長い黒髪に真っ白な肌。まっすぐに私を見つめる意志の強そうな瞳。
それは・・・忘れもしない、ルヴァのベッドの中にいた、あの女性だった。
「あなたは・・・・。」
驚きを隠せずにいる私に向かって、その女性はにっこりと微笑んでみせた。
「こんにちわ。突然お尋ねしてごめんなさい。・・・どうしてもあなたとお話がしたかったものだから・・・。良かったらこれからしばらく、私に付き合っていただけないかしら?」
「・・・・・。」
驚いて声も出ないでいる私に向かって、そのひとはさっさと傍らに停車しているエア・カーの扉をあけると私を手招きをした。
「・・・どうぞ、乗って。」
「・・・・・・。」
「大丈夫よ、そんなに緊張しなくても・・・。ちゃんと帰りもお送りしますから。大事なお話があるの・・・誰にも邪魔されたくないのよ。」
「・・・・分かりました。」
私はうなずくと、エア・カーの助手席に乗り込んだ。
エア・カーがふわりと浮上すると、黒髪の女性はいきなりスピードをあげた。
制限速度をかなりオーバーしながらも彼女の運転はなめらかで、少しも危なげがなかった。
「挨拶がまだだったわね。私はルビア・・・どうぞルビアと呼んで頂戴。」
「・・・・アンジェリーク・リモージュです。」
私が助手席でぺこりと頭をさげると、ルビアさんは少しいぶかしげに私に向かって首をかしげた。
私はとっさに、自分が言い間違えたことに気がついた。
私がアルフと離婚したことは当然ルビアさんは知らないし、それは言うべきじゃない。・・・・言えば・・・やっぱり多少なりとも気になるに決まってる。
おなかに赤ちゃんのいる彼女に不安な思いをさせるべきではなかった
。
私は慌てて微笑むと言い直した。
「リモージュは旧姓なの。仕事では旧姓を使ってるんだけど、今の姓はオブライエンです。」
「・・・そう・・・。」
つぶやくように言うと、ルビアさんは再び前方に視線を戻した。
「わかってると思うけど・・・話というのはあの人のことなの。・・・でも、ここじゃなんだから、私の船まで来ていただけるかしら?空港の外れに停めてあるの。」
「ええ。分かったわ・・。」
私は再び運転に集中しだしたルビアさんの横顔に思わず見入ってしまった。
本当に、ため息が出るくらい美しい人だった。
話し方もきびきびしていて、頭の回転の速い女性だということは見ていてすぐにわかった。
そして、身重の体で私に会いにここまでわざわざ来るということは・・・・
疑う余地もない。この人は本当に、誠心誠意、ルヴァを愛しているんだ。
一抹の寂しさと同時に、私は奇妙な安堵を感じていた。
この女性とだったら、ルヴァはきっと幸せになれる・・・・。
エア・カーは飛行場の上を迂回して、空港の片隅のまだ整地されていない空き地の片隅に停車した。
運転席からすべりおりたルビアさんは、いぶかしげな表情で辺りを見回すと首をかしげた。
「変ね・・・確かにここに泊めたはずなのに・・・・。」
辺りは一面に雑草が生い茂っていて、飛行艇の姿はどこにも見当たらなかった。
「ちょっと待っていて。」
そう言って、ルビアさんは懐から小型の通信機を取り出して耳元に押し当てた。
その時・・・・。
なぜだか、風もないのに、辺りのススキがいっせいにがさがさと音を立てて揺れ始めた。
『呼んでも無駄だよ』
どこからともなく声が響いた。
幾分女性的な、ちょっぴりとげとげしさを含んだ男性の声・・・。
ルビアさんと私はとっさにあたりを見回して、・・・・だけど辺りに人影らしきものはどこにも見当たらなかった。
『通信はきかないよ。・・・半径500メートル以内に強ーい妨害電波を流してあるからね。』
皮肉な声がまた聞こえた。
「何者!」
一瞬、短剣を抜いたルビアさんの顔が苦痛に歪んだ。
いつの間にか、黒髪の若い男がルビアさんの後ろに立って、短剣を握ったルビアさんの右手を背中にねじ上げていた。
そして私の目の前には・・・いつの間にそこにいたのか、濃い金髪の巻き毛を無造作にたらした美しい男性が、皮肉な笑みを浮かべてたたずんでいた。
「ようこそ・・・・可愛い私の獲物たち。・・・・ふたり一緒とは手間がはぶけたよ。」
「何のつもり!こんなことをしてただで済むと思っているの!」
ルビアさんの罵声に、巻き毛の男はかえってにこやかな笑顔になった。
「さぁて・・・・地の守護聖の想い人というのは、お二人のうちどちらかな?」
巻き毛の男は私たちの顔を交互に見比べると、再び残酷な笑みを浮かべた。
「新しい地の守護聖の母親に用があるんだけど・・・・?」
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