60.別れ

Yuli



僕は計器にかじりつくようにして、必死でお父さんの船の航路を追っていた。
お父さんの高速艇はものすごい勢いで飛ばしていて、僕は燃料を気にしながらも、少しも速度を緩めることができなかった。


授業で通った星域はあっという間に通り過ぎてしまった。
もう、後戻りは出来ない・・・。


レーダーに映るお父さんの船は小惑星群の強い磁場の中にまっすぐに突っ込んで行った。
僕はあちこちに浮遊する星間塵を避けながら、必死でお父さんの航跡を追いかけて磁場の中に飛び込んだ。


一瞬、磁力の影響で大きくレーダーの画面が乱れた。


―――消えた・・・!

乱れが収まった計器の画面からは、お父さんの船の形跡はきれいに消えてしまっていた。



目の前にはごつごつとした小惑星群だけが広がっている。
レーダーの片隅に、ゆっくり移動する大きな不気味な戦艦みたいな影が映っていた。


―――このままじゃ、ここで燃料切れになる・・・・。
ここで一人で取り残されたら・・・。


急に体が芯から冷たくなってきた。
操縦桿を握る手が震え出す。


燃料が完全に切れる前に・・・・
いちかばちか、僕は震える手で広域通信のスイッチをいれた。
誰が聞くか分からない広域通信は、授業では禁止されていた。
あの大きな影が海賊船だったとしたら、ひとたまりもないだろう。
だけど、・・・だけど今は他に方法が見つからなかった。


『オトウサン タスケテ ユーリ』


学校で教わったまともな通信文は一つも浮かんでこなかった。


『オトウサン・・・・オトウサン・・・オトウサン・・・・』


僕は誰でもない虚空に向けて、馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返し打電し続けた。



突然、通信機にメッセージが配信されてきた。

『ツウシンコードヲヘンシンセヨ・ヨカナーン』


―――お父さん・・・・

僕は慌ててメッセージの送信元に、自分の通信コードを返信した。

返信するやいなや、壁にかかった通信モニターに、ノイズで乱れた画像が浮かび上がった。


「ユーリ・・・・」

「・・・・・お父さん・・・。」

乱れた画像が徐々に形を結んで・・・そこにお父さんの姿が映し出されたのを見た瞬間、気が緩んでどっと涙があふれ出てきた。
お父さんはモニターに映る機内の様子と泣きじゃくってる僕を見てあらかた事情がのみこめたようだった。


「お父さん・・・僕・・・・」


「・・・泣くんじゃありません。顔をあげなさい。」
突然静かな声で叱咤されて、僕ははっとして顔をあげた。
「男でしょう?泣いてる場合じゃない。・・・戦うんです。」

モニターに映るお父さんの厳しい表情を見て、僕は慌てて涙を袖でよこなぐりに拭った。 頭が少しずつはっきりしてきた。

「・・・・・正確な位置コードを教えてください。送信しちゃいけません。口頭で、古代語で言ってください。」

僕は計器をみながら、数値をゆっくりとハン語で読み上げた。
「燃料は?・・・あとどれだけあるんですか?」
僕が震える声で燃料の残量を告げると、お父さんは大きく肩で息をした。

「大丈夫です。助かります。・・・・まず、停船しなさい。機内灯も消して。落ち着いて・・・私の話を良く聞いてください。・・・・・古代ハン語は覚えていますね。」

「はい」

「・・・けっこうです。」
お父さんは大きくひとつうなずいた。

「いいですか?今から言う言葉を書きとめて標準語に翻訳すること。その指示に従ってください。ひとつも間違っちゃいけません。いいですね?」
「はっ・・はい。」

・・・だんだん、お父さんの言いたいことが分かってきた。
この通信は多分盗聴されているんだ。お父さんの身にも何か危険が迫っているのかもしれない。


お父さんは早口で古代ハン語の音節を並べだした。
それは、かなりもっともらしく聞こえるものの、中身はでたらめだった。僕はその発音を片っ端から必死でノートに書きとめた。
写しているうちに、僕はお父さんがハン語の7つの母音のうち、5つしか使っていないことに気がついた。
ハン語の母音と子音を頭の中で表組みにして、それを標準語の母音と子音に置き換えると、それは即席の暗号になっていた。

お父さんは信じられないような高速で二つの言語の音を変換し続けていた。

最初の長い数行は、数字だった。32桁の数字と意味不明の文字列・・・これは桁数からいって、通信用のシークレット・コードみたいだった。
その後は短い文字列。

僕はノートに書きとめられた発音記号を、頭の中で標準語に置き換えてみた。

『友よ。もう一度、私に力を貸してください。発信地に私の息子がいます。
黒い戦艦は敵です。 あなたの炎で焼き尽くしてください。・・・・・あなたの友。Luva。』

僕は最初のシークレットコードに宛てて、その下の文章をそのまま送信した。



「・・・できましたか?」
「はい。」



顔を上げたとき、お父さんは校長室で別れたときの、あの温かい表情でじっと僕を見つめていた。


「・・・・私の・・・大切なユーリ。」

呼ばれた瞬間に、体が震えた。
とても優しい、温かい声だったから。
校長室で急に抱きしめられたときの、あのインクの匂いを思い出して、僕は危なくまた泣き出しそうになった。


「ユーリ。・・・迷うことがあったら星をご覧なさい。そして自分を見なさい。
神様が創った自然と、ご先祖様が作ってきたあなたの血、その中にすべての答えがあるはずです。
選べる道がいくつかある時は、一番険しくて厳しい道をお選びなさい。 それは神様が、あなたに用意してくれた道です。恨まずに、感謝して進みなさい。」

「お父さん・・・・。」

「行きなさい。すみやかに50カイリ後退してそこで停船して助けを待つんです。」

「・・・お父さん・・・お父さんは?」

お父さんは静かに繰り返した。

「・・・行きなさい。」

お父さんの背後に映っている光景は高速艇のものじゃなかった。
お父さんはきっと、あの戦艦の中にいる。
お父さんは誰かにあの戦艦を焼き尽くせと頼んだ・・・・。

我慢しきれずに、また涙が溢れ出してきた。

「いやだ・・お父さんが一緒でなきゃ・・・行かない。」
「早く・・・行きなさい。」
「いやだ!!お父さん!!」


「父親の言うことが聞けないか!」


お父さんがまっすぐに僕を見て怒鳴った。
僕ははじけるように泣き出した。


逆らうことを許さない厳しい眼差しだった。
お父さんの命令は絶対。僕の中を流れる血が、そう言っていた。
泣きじゃくりながら僕は操縦桿を切った。 モニターが切れてお父さんの顔が消えた。 涙で計器がかすれる中、僕は速度をあげて、お父さんから遠ざかっていった。




どすん・・・と、急に頭の芯が痺れて、目の前の星が霞んで消えた。

―――『欲しくは無いか?』

体中に真っ黒な闇がまとわりつく。その中で、誰かがそう言った。


甘い、優しい声だった

―――『今だったら間に合う。救いたくはないか? お前の力を使えば助けられる。何だってできる。』


いつも同じヤツだ。
僕が弱ってる時に現われて、同じことを言うんだ。 僕が欲しいものをくれるって。


僕が欲しいもの、 それはずっとお父さんだった。
「母さんがいればお父さんは要らない」・・・・・そんなのは全部嘘だった。
いつだって会いたかった。迎えに来て欲しかった。抱きしめて欲しかった。
今もそうだ。僕は別れたくない。誰ともさよならなんて言いたくない。


首が痛くなるくらい上を見上げた。
満天の星空。


―――ユーリ、お星様は自分の力で光るんですよ。
―――ユーリ、お星様はね。毎晩ユーリにお話しにくるのよ。


頭の芯がぐらぐらと痺れた。
父さんが見た砂漠に落ちる真っ赤な夕焼け、
母さんが聞いた聖堂の鐘の音。
父さんの苦しみ、母さんの涙。
僕の血の中に流れる何かが、拒んでいた。
この優しい声はからっぽで、うそっぱちだ。
僕が行く道はそっちじゃない。誰も行かない、一番遠い道を行くんだ。

僕は要らない!
何にも欲しくない!
僕に触るな!

拳を握り締めて、泣きながら僕は叫んでいた。

「僕にさわるなぁああああ!」






指先から光があふれ出していた。
緑色の光が後から後からあふれ出し、飛行艇の壁を突き抜けて静かに虚空に広がっていく。

暗闇は消えていた。
静かに・・・・漂っているような感覚の中で
とっても優しい、温かい誰かの声が聞こえた。




―――会いたかった。・・・・・待っていたわ。

―――地の守護聖、ユーリ。




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