03.風

<Angelique>


デスクの上に山積みされた資料を見て、ルヴァは困ったような苦笑いを浮かべていた。
「これを全部・・・・今週中ですか?」
「・・・んだよ、文句あんのかよ?」
デスクの向かいでは、ゼフェル様が立ったまま腕組みをしてルヴァのことを見下ろしている。
「あの・・やってあげたいのは山々なんですけどねー、でもこれはいくらなんでも・・・・物理的に不可能ですよ。せめて今月末までじゃ駄目ですか?」
「おめーなぁ、『待っててください』って言って、それでバクダンがバクハツするの待ってくれると思うかよ。」

押し問答をしている二人の背後で、遠慮がちなノックと執事さんの声がした。
「旦那様、その・・・お客様がお見えで・・・」
「どなたですか?今ゼフェルが来てるんですけど・・・」
「それがその、旦那様にではなくてゼフェル様にお客様が・・・」
扉が開くと、執事さんの後ろから研究院のヴィヴィアンがひょっこりと顔をのぞかせた。
「・・・あのぉ、・・スミマセン。お邪魔します・・・。」

「おめっ・・・ナニ考えてんだよ!ナニしに来やがった、んなとこまで!」
いきなり大声で怒鳴りだしたゼフェル様に、ヴィヴィアンも負けじとばかりに言い返した。
「それはこっちのセリフです!ナニ考えてるんですか?もう2時ですよ?午後の実証実験、どうするんですかっ?」
「2時半からだろ?まだ30分もあんじゃねーかっ!」
「食事はっ?用意しとくから12時にいったん戻ってくださいって言ったじゃないですか?」
「っせーんだよ、おめーは!放っとけよ!オレのメシとおめーと何のカンケーがあるんだよ!」
「私には無くてもプロジェクトにはカンケイがあるんです!放っておいたらカ○リー・メイトしか食べないじゃないですか?予定通りいってもまだ半年以上の長丁場が続くんですよ!途中で倒れても誰も替わってくれませんよ!もしそんなことになったらどうするんですか?投げ出すんですか?そんな無責任なことでいいんですか?」

「分りました。・・・これは何とか今週中にやっておきましょう。」
二人の顔を交互に眺めていたルヴァは、ふいに笑顔になると書類を手に立ち上がった。
「ヴィヴィアンの言うとおりですよ。ゼフェル、あなたいったんお帰りなさい。資料は出来た分から届けますから。」
二人の息のピッタリあった微笑ましいケンカっぷりに噴出しそうになっていた私も、笑いをこらえながらルヴァに調子を合わせた。
「私も!協力するわ!なるべく早く仕上げるようにするわね!」

「おめーら!ナニ笑ってんだよ!勘違いすんじゃねーぞ!コイツはな・・・」
「ありがとうございます!ルヴァ様!アンジェリーク様!あーっ!後、20分しかない!ゼフェル様、急いでくださいっ!」

大声で言い争いながら二人が部屋を出てゆくと、しばらくして窓の下からゼフェル様のバイクの爆音が聞こえてきた。
窓から下を眺めていた私は、バイクを見送るとルヴァを振り返って笑いかけた。
「初めて見ちゃった!ゼフェル様がバイクに女の子乗せてるところ!・・・ねぇ?お似合いよね、あの二人?」
ルヴァは書類から目を上げないまま、澄ました表情で言った。
「ちょっとは残念なんじゃないですか?」
「え?何が?」
首を傾げた私に、ルヴァはちょっと間をおいて、こう答えた。
「好きだったみたいですからね、あの子は・・・・あなたのことがずっと・・・・・」
「やだ、ルヴァ・・・・いつのこと言ってるの?」

ルヴァは答えずに意味も無く書類をめくり返している。
「・・・・・・」
私はちょっぴり呆れて肩をすくめた。
こんな子供っぽいやきもち、ユーリだって焼かないわよ?

「知らなかった。そんなの。・・・・だって私、ずーっとあなたしか見てなかったもの。」
「・・・・何で過去形なんですか?」

「気になる?」
私は笑いながら部屋のカーテンを引いた。

いきなり部屋が薄暗くなる。
驚いたように顔を上げたルヴァの前に歩み寄ると、
片手を伸ばしてルヴァのターバンの房飾りを思い切り引っ張った。
ブルーの髪が零れだす。

まだ驚いた顔をしているルヴァを引き寄せると、私はそのまま、唇に口付けた。



さあ・・・・・・これでもまだ、ヤキモチなんか、焼く気になれる?





<Vivian>



その人が現れて、すべてがものすごい勢いで動き始めた。



砂色の大きな布みたいな服をゆったりとまとったその人と初めて会ったのは、プロジェクトと研究院の定例ミーティングの席上だった。

「それでですね・・・どうでしょう?彼らも少々行き詰ってるみたいです。私たちで何か手助けできることはありませんかねー。」
のんびりした口調でその人が切り出すと、向かいに座っていた研究院の次長クラスの人が遠慮がちに手を挙げた。

「あの。通信システム周りのプログラムだったら、数世代前までのバックアップデータが保管されてます。改ざん前ものと突き合わせてみたらどうでしょうか?」
「・・・どうですか?ゼフェル?」
「それは・・・それができるなら大分手間が省けるんじゃねーかな・・・。」

「有難う。是非、お願いできますか?」
ルヴァ様はいきなり立ち上がると、笑顔でその人の手を握り締めた。
「それは・・もちろん。ルヴァ様がそうおっしゃるなら・・・・・。」
「あー、有難うございます。それでですね、あなたたちが今非常にお忙しいのは分かっているんですけど・・・・その・・・いつ頃だったらそのバックアップデータを用意していただけますか?」
「遅くとも来週早々には・・無論、今日からでも用意できた部分から順次お送りします。」
「ああ、それは助かります。是非、お願いしますよ。」

それを皮切りに、研究院の人達は堰を切ったように提案を始めた。
「最終チェックと実験に我々からも人を出すというのはどうでしょうか?」
「機材を優先的に割り当てられるように、担当窓口を設けては?」
「双方のプロジェクトのデータをお互い閲覧できるような仕組みが必要ではないでしょうか・・・」

私たちは呆気に取られて見守るばかりだった。
研究院とは本当に仲が悪くて衝突ばっかりしてたのに・・・・・。

ミーティングが終わると、研究院の人達はそそくさと自分たちの研究室へ戻っていった。
どうやら本気で今日からマッチング用のデータを送ってくれるつもりらしい。


・・・・すごい。

私は唖然として立ち尽くしていた。

行き詰っていたのは確かだった。
膨大なプログラム。容赦ないスケジュール。―――途方も無い道のりに、いきなり灯りが見えてきた気がした。


「ヴィヴィアンさん、・・・ですよね?」
ルヴァ様は振り返ると私を見て、にっこりと微笑んだ。
「はっ、はい!」
「大丈夫ですかー?ちゃんと寝てますか?」
「えっ?・・あの、ハイ。大丈夫です!」
「本当ですかー?目の下にクマができてますよ。」
ちょっと首をかしげて私を見ると、・・・・再びルヴァ様は笑顔になった。
「あまり無理しないで・・・・困ったことがあれば何でも相談してくださいね。」
「はっ・・は、はい!」

緊張してかしこまっている私に笑顔でうなずくと、ルヴァ様はそっと長い背をかがめて、向こうに立っているゼフェル様に聞こえないように、小声で私に耳打ちした。
「あの子を・・・・ゼフェルを助けてあげてくださいね。」

心臓をバクバクさせながら、私は何度も、一生懸命うなずいた。



何だか急に風が吹いたみたいだった。
風が吹いて、色んなものを吹き飛ばして行った。
何かが音を立てて回りだした。


だけど、一番変わったのはゼフェル様だと思う。
いつもどこか歯を食いしばってるみたいだったゼフェル様が、この人の前ではまるで普通の少年みたいだった。


「おめー、これ、訳しろ。今日中な。・・・できんだろ?おめー、古文書得意だろーが。」
「なー、オレ今週14時間しか寝てねーの。これさ、あれだろ?ロードーナントカ法とかよ、引っかかんだろ?ねーの?守護星には、そーゆーの?」
「あぁ?定例会?んなオキラクなモン出てるヒマあっかよ。オメー代わりに出とけ。代わりにしゃべっとけ。」
「すぐに要んだよ。最新の高速CPU積んでるマシンがよ。今のじゃ時間ばかり食って全然ハカいかなくってよ。稟議書書いてくれよ。オメーが申請すりゃ一発だろ?」


・・・・・・もとい。

普通の少年どころじゃない、傍若無人なほどの我儘さを、ゼフェル様はこの人物限定で、全開で発揮しているようだった。
そしてルヴァ様は、弱りきった表情を浮かべながらも、途方も無いゼフェル様の我儘に全部応えているように見えた。


風が吹いてきた。


この風が、暗い雲を全部払ってくれるといい。



心から、そう願った・・・・・・。




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