03.風 <Angelique>
<Vivian> その人が現れて、すべてがものすごい勢いで動き始めた。 砂色の大きな布みたいな服をゆったりとまとったその人と初めて会ったのは、プロジェクトと研究院の定例ミーティングの席上だった。 「それでですね・・・どうでしょう?彼らも少々行き詰ってるみたいです。私たちで何か手助けできることはありませんかねー。」 のんびりした口調でその人が切り出すと、向かいに座っていた研究院の次長クラスの人が遠慮がちに手を挙げた。 「あの。通信システム周りのプログラムだったら、数世代前までのバックアップデータが保管されてます。改ざん前ものと突き合わせてみたらどうでしょうか?」 「・・・どうですか?ゼフェル?」 「それは・・・それができるなら大分手間が省けるんじゃねーかな・・・。」 「有難う。是非、お願いできますか?」 ルヴァ様はいきなり立ち上がると、笑顔でその人の手を握り締めた。 「それは・・もちろん。ルヴァ様がそうおっしゃるなら・・・・・。」 「あー、有難うございます。それでですね、あなたたちが今非常にお忙しいのは分かっているんですけど・・・・その・・・いつ頃だったらそのバックアップデータを用意していただけますか?」 「遅くとも来週早々には・・無論、今日からでも用意できた部分から順次お送りします。」 「ああ、それは助かります。是非、お願いしますよ。」 それを皮切りに、研究院の人達は堰を切ったように提案を始めた。 「最終チェックと実験に我々からも人を出すというのはどうでしょうか?」 「機材を優先的に割り当てられるように、担当窓口を設けては?」 「双方のプロジェクトのデータをお互い閲覧できるような仕組みが必要ではないでしょうか・・・」 私たちは呆気に取られて見守るばかりだった。 研究院とは本当に仲が悪くて衝突ばっかりしてたのに・・・・・。 ミーティングが終わると、研究院の人達はそそくさと自分たちの研究室へ戻っていった。 どうやら本気で今日からマッチング用のデータを送ってくれるつもりらしい。 ・・・・すごい。 私は唖然として立ち尽くしていた。 行き詰っていたのは確かだった。 膨大なプログラム。容赦ないスケジュール。―――途方も無い道のりに、いきなり灯りが見えてきた気がした。 「ヴィヴィアンさん、・・・ですよね?」 ルヴァ様は振り返ると私を見て、にっこりと微笑んだ。 「はっ、はい!」 「大丈夫ですかー?ちゃんと寝てますか?」 「えっ?・・あの、ハイ。大丈夫です!」 「本当ですかー?目の下にクマができてますよ。」 ちょっと首をかしげて私を見ると、・・・・再びルヴァ様は笑顔になった。 「あまり無理しないで・・・・困ったことがあれば何でも相談してくださいね。」 「はっ・・は、はい!」 緊張してかしこまっている私に笑顔でうなずくと、ルヴァ様はそっと長い背をかがめて、向こうに立っているゼフェル様に聞こえないように、小声で私に耳打ちした。 「あの子を・・・・ゼフェルを助けてあげてくださいね。」 心臓をバクバクさせながら、私は何度も、一生懸命うなずいた。 何だか急に風が吹いたみたいだった。 風が吹いて、色んなものを吹き飛ばして行った。 何かが音を立てて回りだした。 だけど、一番変わったのはゼフェル様だと思う。 いつもどこか歯を食いしばってるみたいだったゼフェル様が、この人の前ではまるで普通の少年みたいだった。 「おめー、これ、訳しろ。今日中な。・・・できんだろ?おめー、古文書得意だろーが。」 「なー、オレ今週14時間しか寝てねーの。これさ、あれだろ?ロードーナントカ法とかよ、引っかかんだろ?ねーの?守護星には、そーゆーの?」 「あぁ?定例会?んなオキラクなモン出てるヒマあっかよ。オメー代わりに出とけ。代わりにしゃべっとけ。」 「すぐに要んだよ。最新の高速CPU積んでるマシンがよ。今のじゃ時間ばかり食って全然ハカいかなくってよ。稟議書書いてくれよ。オメーが申請すりゃ一発だろ?」 ・・・・・・もとい。 普通の少年どころじゃない、傍若無人なほどの我儘さを、ゼフェル様はこの人物限定で、全開で発揮しているようだった。 そしてルヴァ様は、弱りきった表情を浮かべながらも、途方も無いゼフェル様の我儘に全部応えているように見えた。 風が吹いてきた。 この風が、暗い雲を全部払ってくれるといい。 心から、そう願った・・・・・・。 |