05 .御前会議

<Lumiale>


自分が優しさをつかさどる水の守護聖であるということに、私は実はずっと戸惑いを感じて参りました。
なぜって私は、決して優しくなんかない・・・優しさとは程遠い人間なのですから・・・。


「できるのでしょうか?私に、そのような大それたことが・・・・」
思わず不安を口にした私に、『彼』はゆっくりと笑みを返しました。

「優しさとは何だと思う?あなたの思う優しさとは・・・」
「さぁ・・・それは・・・・」
思いがけない質問に私は首を傾げました。

「そうだな。簡単に答えられるようなものじゃない。・・・それが正しい答えだと、私もそう思う。」
彼は腕組みをしたまま、何度もうなずきました。
「私は勝手にこのように思っている。・・・優しさとは自分じゃない誰かのために涙を流すこと。誰かのために笑い、傷つくこと・・・。つまり、優しさとは所詮そこまでなのだ。誰かの為に泣き、笑い、案じて、心を痛めて・・・だが結局何もできない。
・・・ゆえに、優しさを司る水の守護聖は誰よりも涙を流し、誰よりも傷つく。誰よりも無力に打ちひしがれ・・・だから、誰よりも強靭でなければならない。」

「あの・・おっしゃることが私には良く・・・」
「ヘンに悟っていないほうがいい」
振り返ると、彼はにこりと滴るような笑顔を浮かべました。
「つまり普通の神経じゃ耐えられない任務なのだ。・・・・だから、あなたが選ばれたのだ。」
「・・・はぁ」
「難しく考えることはない。自然に振舞い、あなたが今持っている個性そのままに勤めを果たせばいいのです。
・・・・・ただ・・・・・」

ほんの一瞬、彼の表情から笑顔が消えたように見えました。
遠くを見つめるような眼差しで、彼はこんな風に言葉を続けました。


「いつか、もしこの宇宙が危険に晒されるようなことがあったら、その時は他のどのサクリアよりも、真っ先にあなたの力が必要とされるだろう。・・・あなたは戦わなければならない。」

「・・・・・」


振り返った彼は、先ほどと変わらない笑顔でした。

「・・・良い後継者を得られて満足です。私から教えることは何もない。あなたらしく、おやりなさい。」



引継ぎはたったそれだけ。
翌朝には彼はこの地を後にしていました。

ですが、その直後に、私は気付いたのです。
広間に置かれたハープ。書斎には真新しい絵の具とキャンバス。広々とした水槽には、故郷の海と同じように色とりどりの魚がのどかに泳いでいました。

「・・・前の方も、音楽や絵がお好きだったのでしょうか?」
おずおずと女官に尋ねると、彼女は驚いたように大きく目を見開いて、そしていきなり笑い出しました。
「いいえ。・・・全然。
球技がお好きでしたわね。・・・それと、賭け事と・・・」
「賭け・・ごと・・?」

「楽器や絵の道具は、前のお方がリュミエール様の為にお取り寄せになったものですわ。その他にも、私たち館のものを全員広間に集めて、リュミエール様の細かなプロフィールを手ずから配られて、『新しい方は穏やかで控えめな方だから、ご自分からあれこれ要求されることは少ないだろう。・・・・だからあなたたちが自分から気遣ってさしあげなければいけない。くれぐれもご不便をおかけしないように・・・・』・・・・と、小一時間もお説教をされましたわ。」
「あ・・・あの、それは・・・」
「お優しい、方でしたわね・・・・。」
独り言のようにそういうと、女官長は笑いながら再び私に向き直りました。

「そういうことでございますから、リュミエール様、どうぞ私どもが行き届かない時はご自分から何でもおっしゃってくださいましね。・・・でなければ私ども、リュミエール様にも前のお方にも不忠者ということになってしまいますわ。」
「ああいえ・・そのようなことは決して・・・・」



―――優しさとは所詮、それだけのことなのだ。

「何もできない。」・・・・そう、あなたはおっしゃいました。
ですが、あなたとの出会いは、確実に私の心の中に一粒の種を撒いたのです。


―――あなたらしく、おやりなさい。


やってみようと思いました。
あなたのその言葉を信じて、私は・・・・・・

あなたに託されたその祈りを、私なりに紡いでゆくことで、
私はあなたに、応えてゆきたいと思ったのです・・・・・。








このところの相次ぐ地震や天候不順のせいでしょうか・・・・御前会議のその日、広間にはやや張り詰めたような気配が漂っておりました。

「陛下がお出ましになる前だが、・・・今朝方研究院から出された報告書を配布しておこう。各自、目を通しておくように・・・」
ジュリアス様が振り返って合図すると、侍従たちが私たちの間を回って、印刷された資料を一部ずつ手渡しました。

「水の力が著しく減少している地域があるようだが・・・」

「・・・・はい。」
ジュリアス様の厳しい視線に体が震えそうになるのを抑えて、私は応えました。

「あの・・・力を送っては・・・いえ、送ろうとしてはいるのです。でもそれが・・・届かないのです。」
「届かない?どういうことだ?」
「始めは私の力が衰えたのかと疑いましたが・・・ですが、違うのです。流れ出す水の力を、まるで宇宙の方が拒んでいるような・・・・・私にはそんな気がするのです。」

「オメーの言うとーりだ。力の問題じゃねーよ。」
まるで聞いていないように椅子に反り返っていたゼフェルが、つぶやいたかと思うと身を起こして立ち上がりました。
「・・・オレのは逆だ。不自然なくらい力が求められてる。水盤に手ぇ出した瞬間に食らい付いてくるみてぇだ。何かやべぇ気がしてよ、ここんとこ研究院に言われただけの力、送んねーよーにしてセーブしてたんだ。」
「お前、それは命令違反だろうが・・・?」
眉をひそめるオスカーの前で、今度はオリヴィエが口を開きました。
「・・・・アタシもだよ。」

オリヴィエは華やかに彩られた手指の爪をゆっくりと頤に当てて、少し首を傾げるようにして言葉を続けました。
「夢の力も今までになく強く求められてる。だけどアタシも今は送らないようにしてる・・・・
だって、夢ってそれに見合う努力をして初めて輝くモンだろう?だけど今のやつらは違う。まるで、夢に溺れようとしてるみたいだ。」


ガタガタガタ・・・・・・!
窓ガラスが軋んだ音を立て、それと同時に、突然広間全体に激しい振動が襲って来ました。


「霊震・・・・ですね・・・・。」


ようやく揺れが収まり、テーブルや柱に捕まって振動に耐えていた私達が徐々に身を起こす中、呟くようにルヴァ様が言いました。
「霊震?」
「研究院から今朝出された報告によると、この地震は聖地の地殻構造とはまったく関係なく発生しているそうです。物理的な要因の全く見当たらない、もっと別な力によって引き起こされた地震・・・・研究院ではこの現象を霊震と呼ぶことにしたそうです。」

「サクリアのバランスが影響してるってことはないの?」
「・・・あるかも知れません。」
オリヴィエの問いかけに、ルヴァ様はどこか苦しげな表情で答えました。
「じゃあ、ユーリは?・・・あの子はどうしてここにいない?」
「オリヴィエ。 すみません。・・・・もう少しだけ、時間をください。」
「酷いこと言ってるかも知れないけど・・・でも、長引かせても、結果は変わらないよ。状況が余計ひどくなるだけだと思うけど?」
「・・・・・すみません。それでも、もう少しだけ・・・・。」


「止めようよ!」
部屋の隅から響いてきた澄んだ声は、マルセルでした。

「自分のせいとか誰かのせいとか、・・・責めたり謝ったりするの、止めよう? 誰のせいでもないよ。それよりも、何でこんなに地震が起きるのかちゃんと調べて、僕たちにできることをしようよ!」


―――パチパチパチ・・・・・・。


拍手の音と共に扉が開いて、陛下とアンジェリークが広間に入ってきました。
拍手の手を止めてぐるりと周囲を見回すと、陛下は肩をすくめて、こうおっしゃいました。
「全く・・・・どうしたの?この重っ苦しい雰囲気は?」

玉座に落ち着くと、陛下はいつもの調子できびきびと指示を下し始めました。
「アンジェ、お茶を入れてくださる?リュミエールとマルセル、手伝ってあげて。
ルヴァ、その目障りな書類を重ねてついたての陰にでも仕舞って頂戴。ランディはそこの窓を開けて、少し風を通しましょう。他の人はみんな適当に座ってください。」

一同が席に着くと、陛下は私たちをぐるりと見回してはっきりとした口調でこうおっしゃいました。

「ちゃんと話してなくて悪かったわ。もう少しはっきりしてからと思ったんだけど・・・・。本当に誰のせいでもないの、この地震の原因は他にあるのよ。

最近星見の間で、宇宙に妙なものを見るようになったの。黒い、塊のようなものよ。そこから悲しみというか絶望というか・・・・とにかく強烈な負のパワーが発せられているわ。時折位置を変えながら、それは段々ここに近づいてきているような気がするの。・・・・ 研究院の調査では宇宙の該当する空間には何も検知されていません。・・・これは多分物理的なものじゃなくて、何か精神的なものだと私は思うの。」

黙りこくっている私たちを見回すと、陛下はもう一度大きく肩をすくめて、励ますような口調で続けました。
「もう。・・・どうしたっていうの?もっと大きな困難だって、私たちは乗り越えてきたでしょう?」


「いいこと、リュミエール。はっきり言っておきますけど、あなたの責任じゃありません。気に病むことは許しません。それに・・・・
ユーリも関係ないわ。あの子のことはそっとしておいてあげて。必用なことはルヴァかアンジェか私自身があの子に話します。」



「あの・・・・・」
思わず、手を上げていました。

「水の力を受け入れないその地域に・・・・わたくしを、行かせてはいただけないでしょうか?この目で確かめたいのです。なぜ、わたくしの力を拒むのか・・・・。」
「リュミエール。」
「理由を、知りたいのです・・・・。水の力を不要だという、その理由を・・・・」


「許可します。」
短く応えると、陛下はきびきびと言葉を続けました。

「ただ、場所と時期については私に任せて頂戴。いつ事態が回復してあなたの力が求められるか分からないし・・・あまり遠くへは行って欲しくないのよ。」




散会が告げられ、ひとりずつ議場を去っていく中で、私は足が竦んだようにその場に立ち尽くしていました。
あの日の彼の言葉が、なぜか唐突に思い出され、
頭の中で繰り返し、木霊のように響いていました。



―――いつか、もしこの宇宙が危険に晒されるようなことがあったら、その時はあなたの力が必要とされるだろう。・・・あなたは戦わなければならない。



―――あなたは、戦わなければならない。




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