この拙き物語を、蒼い月の君に捧げます・・・・・ Blue
Angel Vol.2 二度目の訪問は深夜だった。 ドアの微かにきしむ音に、俺は習慣で跳ね起きた。
入ってきたその人物は、起き上がっている俺を見て一瞬驚いたようだったが、すぐに笑顔になった。 「起こしちゃったみたいね・・・。ごめんなさい。」
「陛下・・・。」 慌ててベッドから降りようとする俺を、陛下は―――彼女はいつかのように手を伸ばして押しとどめた。 「いいから・・・じっとしていて。今から貴方を治療します。貴方の力が必要なの。来月からでも復帰して欲しいのよ。」
早口で言いながら彼女は勝手に俺の寝巻きの前をはだけると、くるくると、今度は俺の胸の包帯を解き始めた。 「陛下・・・・」 薄暗い病室の中、男女が二人きりで、しかも相手は女王陛下である。当然ながら俺は慌てたが、彼女は構わずにどんどん包帯を解いてゆく。夜中のことで、室内にはランプのほの暗い明かりが申訳程度にたったひとつ点っているだけである。
うつむいている彼女がどんな表情をで俺の包帯を解いているのかは分からなかった。
実は俺は、前回彼女の訪問を受けた時から、ずっと彼女のことばかりを考えていた。実際、考える時間は飽きるほどあったのだ。
女王試験が終わって、ロザリアは女王になった。それはロザリアという少女が俺達の目の前から消えた日でも会った。 ロザリアは、就任直後から女王としての役目を完璧に果たしてみせた。あちこちに亀裂の生じた宇宙を建て直すため、彼女は俺達守護聖の力をフルに活用しようとし、そのため就任当初、俺達はけっこう振り回された。「人使いが荒い」と言われだしたのもその頃のことだ。
ジュリアス様や俺を筆頭に、ランディやマルセルに至るまで、立て続けにサクリアを要求されるか、そうでなければ視察に駆り出され、更にはそれぞれの特性に応じて「警備システムの効率化」「環境整備」「情報データベースの構築」などの実務的な課題を言い渡された。
クラヴィス様やゼフェルも例外ではなかった。 クラヴィス様の仕事が進まないのに業を煮やした陛下は、なんと彼の執務室に自分の執務机を持ち込ませ、「毎日自分で進捗管理する」と宣言した。クラヴィス様はその日のうちにレポートを提出し、この件はジュリアス様の陛下への敬愛を一層深めたようだった。
ゼフェルの件ではルヴァが割りを食い、毎日のように聖殿に呼び出しを受けた。日々陛下に苛められて青ざめてゆくルヴァを見て、最後にはゼフェルも「やりゃーいーんだろ、やりゃーよー」と音を上げた。
こうして半年くらいせわしなく走り回っているうちに、ふと気が付くといろいろな綻びは修復され、宇宙は平穏を取り戻し始めていたのだ。 多くの守護聖は忙しさのあまり、気づいてもいなかっただろうが、実際引き継ぎ直後は危機的な状況だったのだ。負担は各自に分配されたように見えたが、彼女の負担だけは誰も肩代わりすることはできなかっただろう。
彼女が有能な女王であればあるほど、ロザリアという一少女は俺達の視界から遠ざかっていったのである。
しかし、ロザリアという少女は確かにいたのだ。 確かに気が強く負けず嫌いで、思慮深く優秀な女性ではあったが、決して何にも動じない石のような心の持ち主と言うわけではなかった。
ガーゼ越しに胸に触れた指先はとても冷たく・・・・まるで血が通っていないようだった。 嫌な胸騒ぎが、俺を現実へと引き戻した。
「陛下」 俺は思わず、目の前の細い手首をつかんで止めていた。 細い・・・まるで精巧な細工物のように、華奢な手首だった。 驚いたように見上げる蒼い瞳に
俺はゆっくりと笑い返した。 「大丈夫です。・・陛下のお手をわずらわすまでもない。明日にも出仕します。」 「この傷じゃ無理よ。」
首を振って俺の手を押しやった拍子に、彼女の体が斜めに傾いだ。 「陛下!」 俺は慌ててベッドから滑り降りると、手を差し伸べて彼女を両腕で抱きとめた。
腕の中に抱いて、俺は初めて彼女が思っていたよりもずっと小柄で、華奢であることに気がついた。 「ありがとう。ちょっと足をすべらせただけ。・・・大丈夫よ。」
陛下は笑ってさっさと俺の腕を離れると、いつもどおりに背筋を伸ばして自分の足ですらりと立って見せた。 俺にはその姿はどうにも無理をしているように見えてならなかった。
薄暗い室内でも、彼女の顔はやや青ざめているように見えた。 「・・・・・・・・・・・・。」 俺は、無性に自分に腹が立ってきた。
やっぱり違う。 無理してないわけがない。 辛くないわけがない。 どんなに強がって見せたところで、17の少女がたった1年で完全無欠な統治者になれるのか?
できているように見えるのは、そう見せようとして、彼女が努力しているからだ。誰も見ていないところで身を削る努力を重ねているのだ。 それを何だ、俺は?今まで何をしていた?何も考えずに彼女一人にずっと重荷を負わせたままで・・・・。ロザリアがこんなにも青ざめて憔悴して見えるのは誰のせいだ?一月近くも執務を投げだして、その間の負担を誰が負うことになるのか、どうして気がつかなかった?
俺は黙って立ち上がると、一度は離れかけたロザリアの体を引き寄せ、横抱きに抱き上げた。 「オスカー。・・・何をするの?」
ロザリアが驚いたような声を上げる。 抱き上げておいてから、今更のように俺は迷った。 ――どうしようって言うんだ。相手は女王陛下だ。しかもここは病室だ。彼女を休ませる場所なんかない。空いているのは今まで俺が寝ていたベッドだけだ。
俺はひとつ、ため息をついた。 ―――ままよ。 細かいこと言ってる場合じゃない。 「放して・・・・」
腕の中のロザリアがかすかに身じろぎした。 俺は腕の中で身悶えているロザリアを無理やりベッドの上に降ろした。 体を起こそうとするロザリアの薄い肩を、今度は俺が、無理やり両腕でベッドに押さえつける。
「無礼者。」 低く呟くように言うと、ロザリアは目だけで俺を睨みつけた。 本気で腹を立てている表情だった。 だが、もし本気で嫌なら大声で叫べばいいことだ。すぐに衛兵がすっとんでくるだろう。しかしロザリアはそうしなかった。
「・・・・自分の立場を忘れているのではなくて?」 「・・・・今は忘れてる。君も忘れろ。忘れて休め。」 まともに目が合った。ロザリアは更に俺を睨みつけてみせたが、俺も目をそらす気はなかった。
先に目をそらしたのはロザリアだった。 一つため息をつくと、彼女は目をそらしたまま、怒ったような表情で言った。 「相変わらず強引ね。礼儀というものを忘れているのではなくて?」
「礼儀より大事なことを忘れかけていた。君があんまり有能で毅然としているからだ。・・・あやうく忘れるところだった。・・・君も守るべきかよわい女性だってことをな。」
「不敬罪よ・・・その発言・・・」 「構わん。早く元気になってびしびし罰してくれ。」 「・・・・冗談に付き合ってる時間はないの。離して・・・・。」
「・・・・冗談?」 冗談と言われて俺は妙にカチンときていた。 冗談なんかであるもんか。断じて冗談じゃない。本気だ。本気で守りたいと思っているんだ。
「誰か!」 ついにロザリアが声を上げた。緩んだ俺の腕の下から身を躱すと、ロザリアは再びすらりと隙の無い身ごなしで立ち上がった。
「帰ります。」 「待て。」 俺は思わず、立ち去ろうとしたロザリアの腕をつかんでいた。本気でこのまま帰したくなかった。自分で自分がらしくないくらいムキになっているのは分かったが、どうにも止まらなかった。
「・・・送ろう。」 ロザリアが、驚いたようにこっちを見て、ふいにくすっと吹きだした。 「その格好で?・・・・聖殿まで行くつもり?」
「あっ・・・。」 ・・・そうだった。ここは病室。間の抜けたことに、俺は寝巻きのままだった。 うろたえた隙にロザリアはするりと俺の腕を抜け出すと、ドアを開けた。
去りぎわにロザリアはもう一度こちらを振り向いた。 「大丈夫よ。衛兵を待たせてあるから・・・。来週、また来ます。ゆっくりお休みなさい。」
そういい残すとロザリアは、相変わらずまっすぐに頭を上げて、軽やかな身のこなしで立ち去っていった。
残された俺は、何か釈然としない気分でベッドに腰をおろした。
なんであんなに意地を張るんだ。 貧血を起こすほど弱っているくせに、・・・なんで平気そうな顔をしたがるんだ。 女王だからか?女王だから他人に弱みを見せられないということか?
俺にもか?俺が頼りにならないとでも言いたいのか?
―――違う。
俺は枕もとの引き出しをあけると、そこから
ロイヤル・ブルーの扇を引っ張り出した。 強い百合の香り。孤高を示す蒼。
・・・・どうして一人でいなきゃいけないんだ?
あれは、ロザリアだった。 今、目の前にいた彼女は、女王陛下なんかじゃない。 意地っぱりで、負けず嫌いで、小生意気で・・・・・弱虫で淋しがり屋の、ひとりの少女だった。
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