act.4 破れた夢


そんなこんなで数ヶ月が過ぎたある日、ココは夕食の席で目を輝かせてあたしに言ったんだ。

「あのね、アタシ、コンクールに出る!入賞すれば、来期は特待生扱いで学費がいらないんだって。」

ココが見せてくれたチラシは、ココの通ってる学校主催のファッションコンクールのものだった。
課題はイヴニングドレス。
正直言って入賞は難しいだろうな、と私は踏んだ。
ココの行ってる学校は、数あるデザイン学校の中でも結構権威のあるところで、試験も難しい。親が有名なデザイナーだったりとか、金持ちの子供も多かった。とにかくサラブレッドが揃っているのだ。しかもイヴニングドレスという課題は、パーティーなんて行ったことも見たことも無いココにはかなり不利なような気がした。

だけどココはそんなこと全く気にしちゃいないようで、その日からさっそくデザインに着手した。

数日がかりでココが書上げたデザイン画は、ちょっとびっくりするくらいまともなものだった。
全体が細身のシルエットで、両肩を剥き出しに平に大きく折り返した襟と、膝の下から両側に割れて豊かに波を描く裾が、単調になりそうなデザインに大きなインパクトを与えていた。
もう、このまま売りに出しても、そこそこ買い手がつきそうなデザインだった。

私はちょっぴり、ココに対する印象をあらためた。
一生懸命な子だとは思ってたけど、正直短期間でここまでやるとは思ってなかった。
でも、本気なのだ。本気でココはデザイナーになろうとしていて、それもまっすぐにその王道を行こうとしているのだ。
こりゃ応援するしかないな、と、私もハラを決めた。

私はココを連れて取引先の布屋に行くと、サイフをはたいてココのドレスのために、イメージぴったりのシルクを買った。ココは帰り道の間中、泣きそうな顔で「ごめんね」と「ありがとう」を何度も繰り返していた。

海のように青いシルクはココの手で日ごとに形を変えていった。
縫製の難しいところは、私が何度もお手本を見せて教えた。もう、私が持ってるテクニックは全部放出するつもりで細かいことまで全部ココの前でやって見せた。
ココは仕事が遅いわけじゃなかったけれど、丁寧な性格だったから、作業はなかなか進まなかった。
ココは毎晩遅くまでミシンを踏んでいた。


事件は、コンクールを翌日に控えたその日に起きた。

ドレスはあらかたの作業を終えて、準備のために学校に運び込まれていた。
その日ココはいつもどおりに店を出て、「今日、最終の仕上げをするから、ちょっと遅くなるかも知れない」と、そう言って出かけていったのだ。
ところが、ココは昼にもならないうちに帰ってきた。
「あれ?ココ?どうしたの?今日遅くなるんじゃ・・・・・」
声をかけた私の横をつむじ風のようにすり抜けて、ココは奥の作業部屋に駆け込んでいった。

「どうしたのさ?」
声をかけながら私が作業部屋に入っていくと、ココは作業台の前に放心したように座っていた。
作業台の上に投げ出された紙袋から覗いている青い生地を見て、私は唖然とした。

それは、布くずみたいにずたずたに切り裂かれていたけれど、ココが作っていた青いドレスの生地だった。
「あんた・・・それっ・・・・コンクールに出品するやつじゃ・・・・。」
「うん。今日ね、学校に行ったら、・・・・・・破れてた。」
妙に淡々とココが答えた。
「誰がこんなこと・・・・。」
「ごめんね。せっかく布買ってくれたのに、こんなにしちゃって・・・・。」
布のことを言ったときだけ、ココはつらそうな表情になった。
「布なんかどうだっていいんだよ・・・・・そんなとこより・・・・」
私はココの痩せた手首を引っつかんだ。
「行こう!」
「・・・・どこへ?」
「学校!!こんなの許せないよ!校長に捻じ込んでやる。」
「ちょ・・・ちょっと待って、オリヴィエ」
「あんた、これ、黙ってていいの?こんなの犯罪だよ!」
ココは私の手をそっと押しのけると、無理やりひねり出したような笑顔で言った。
「もう、いいよ。 ちょっとの間でも夢を見られたもん。楽しかったもん。充分だよ。」

私にはココが泣いたり怒ったりする気力もないほど傷ついているのが分かった。
素直なこの子は、世の中にこんないわれの無い悪意があるってこと自体、考えたことも無かったに違いない。 裏切りや、悪意がどんなに簡単に人を傷つけるか、私は知っていた。 だけど、この子は・・・・・初めてそんな人の心の汚い部分を目の当たりにして、この子の素直で柔らかな心はどれだけ傷ついただろう?

「泣きなさい。」
私はココの薄い肩を掴むと、わざと強い口調で言った。
つらいことをさらっとやり過ごしたりしちゃいけない。私は経験で知ってた。つらいことには立ち向かわなきゃいけないんだ。
「オリヴィエ?」
「我慢するんじゃないよ。悲しいんでしょう?悔しいんでしょう?当たり前だよ。泣いていいんだよ。」
「・・・・そんなこと言わないでよ。」
あきらかに泣きそうに目を潤ませながら、ココは言い張った。
「何でよ?・・・言わないでよ!せっかく・・・せっかく我慢してるのに・・・・。」
「いいから、あたしの前で我慢なんかするんじゃないよ!」
ついにココの両目から涙がものすごい勢いでさんさんと落ちてきた。
学校からずっと、我慢してきたんだろう。可哀想に・・・・。
私は泣いているココをそっと抱きしめた。
ココの泣き声が一段と高くなった。もう、手放しの号泣だった。
私はただココが泣き止むまで、ずっと、身じろぎもせずに、そうやってココのことを抱きしめていた。


ココの泣き声が静かなすすり泣きに変わると、私はゆっくりとココの体を離し、ココに向き直った。
「落ち着いた?」
涙で顔をぐずぐずにしたまま、ココがコクリとうなずいた。
「じゃあ、前を見てご覧。教えてあげる。あんたが邪魔されたのは何でだか分かる?あんたが強いから、あんたがすごいからだよ。弱いヤツが、弱いからこんなことするんだよ。こんな弱虫どもにハラを立てるのはやめなさい。馬鹿馬鹿しいから。だけど、そいつらと一緒に自分に負けちゃいけない。そんなのあたしが許さないからね。あんた間違ってない。これっぽっちも間違ってないよ。間違ってないなら引き返す必要なんかない。胸を張りなさい。」
ココが私の激しい口調にびっくりしたように顔を上げた。
「どうする?・・・・・決めなさい。本当にやめるの?このままでいいの?」
「・・・・・・いやだ。」
見開いたまんまのココの目から、また涙のつぶがぼろぼろと湧き出した。
「・・・・こんなのいやっ!このままじゃいやだっ!!」
泣きながらココが叫んだ。

「おいで。」
私はココの手を引っつかむと、作業部屋に引っ張っていって、そこに倉庫から引っ張り出してきたブルーの布地をありったけ並べた。
「青い生地はこれとこれと・・・・出来てる服もほどいていいから、好きなの全部使っていいから・・・・さあ、何したらいい?私も手伝うよ。」

ココが顔をあげた。
「青はもういいの。 ・・・あれは、もう、作らない。」
「えっ?」
「待ってて!」
ふいにココが走り出した。
ココは屋根裏の自分の部屋に飛び込むと、大きなごみ袋をいくつも引っ張りだしてきた。 ココは作業場に入ると勢いよくごみ袋の中身を床にぶちまけた。極彩色の色彩が床いっぱいに広がった。
それは膨大な量のハギレだった。
この子ったら、店で使った残りの、捨てるはずだったハギレを全部捨てずにとっていたんだ。

「ココ?」
ココはいきなり勢い良く、着ていたタートルネックのセーターとスカートを脱ぐとスリップ1枚になった。
「ハサミと・・・ピン借りるね。」
そういうと、ココはハギレの山から布切れをつまみ出してはカットして、ピンでスリップに留め始めた。
無心でハサミを動かしながら、ココは次々と新しい色を摘み上げては、自分の体に止めつけていく。

ココが、子供の遊びみたいな動作を繰り返すうちに、 そのうち段々・・・・私にも分かってきた。でたらめみたいな配色にルールにならないリズムが見えてきた。弾むような色彩の波が、ちっぽけなココの体を溢れんばかりに埋め尽くそうとしていた。

ハサミを動かしながらココがふいに笑いだした。

「よかったぁ〜。」
ココは泣き笑いの顔でため息混じりにつぶやいた。
「えっ?」私は思わず聞き返した。
「破ってくれてよかった!ホントによかった!負け惜しみじゃないよ。」

ココは相変わらずハサミは動かしたままで、私の方を振り向くとにっこりと笑った。
「あたしね、オリヴィエの真似してた。オリヴィエみたいにカッコイイ服が作りたかったの。だけどさ、そんなの結局サル真似だからさ・・・どうしても作ってて、自信なかったの。だから何だか出るのが怖くって・・・・学校でドレスが破れてるの見たとき、ホントはちょっとほっとしたんだ。・・・・・バカだね、あたし・・・・ごめんね、オリヴィエ。」
「そんなの・・・謝ることなんてないさ。」
「だけど今度は、自分が着たいもの作るよ。思いっきりやるから!笑われても、叱られてもヘーキだよ。あたしの好きなとーりに作るんだ。」

ココの小柄な体が色彩の大洪水で覆い尽くされると、ココは満足そうにくるっとまわって、私に向かってポーズを取って見せた。
「どう?」
私は手をたたいて、笑って答えた。
「お姫様みたいだよ。」
「ねえ、デザイン画書いてるヒマないから、写真とって!」
「OK!」
私は仕事用のポラロイドで、ココの全身の写真を撮った。

それからは二人とも一晩中、夢中になってミシンを踏みつづけた。
ようやく最後のパーツを止めつけた時には、空は白白と明けかかっていた。

徹夜明けの眠い目をこすって、二人は今度は化粧台の前に立った。

「いいんだね?」
念を押す私に、ココは嬉しそうに笑って言った。
「OK!思いっきりどうぞ!!」

私はココの栗色のお下げを切り落とすと、硬めの髪を流れるようなショートにカットして、朝焼けの色に染めた。


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