act.6 別れ



コンクールの結果、ココは失格だった。

『あれはイヴニングドレスじゃない』というのが失格の理由だった。
だけどもうそんなこと、ココも私も気にしちゃいなかった。ココにはちゃんとその後、某新進デザイナーのオフィスから引き抜きの打診が来ていた。私も知ってるデザイナーだった。ココともセンスが合いそうだったし、私はいい話なんじゃないかと思っていた。

「でもね、住み込みなんだって。」
そう言ってココは難色を示した。
「ふ〜ん。いいじゃない、住み込みだって。」
「でも・・・・だって、あたしオリヴィエと一緒にいたいよ。」
「それは・・・・アタシもそうだけどさ」
私はストレートに感情表現するココをかわいいと思いながら言った。
「でもね、長い目で見れば、いろんな人の下で腕を磨くってことは、これからのあんたにとってすごくプラスになると思うよ。」
「うん・・・・それは分かるんだけど」
「まあ、まだ時間はあるんだろう?良く考えるんだね。」

ちょうどその時、私の携帯が鳴った。ここのところしょっちゅうだった。
「・・・・ごめん。ちょっと出てくる」
私は訝しげな顔をするココを残して、店を飛び出した。


「ちょっと、あんた達、営業妨害だよ。いいかげんにしてくんない?」
私は四つ角のところに立っている男達を見つけると、のっけから突っかかっていった。
実際、この1週間というものの、こいつらに付きまとわれっぱなしでたまったもんじゃなかった。携帯に電話はかかってきて呼び出されるわ、待ち伏せされるわ、・・・・・それで用件は何かといえば『あなたは次代の夢の守護聖となる方です。私どもと一緒に来てください』、その一点張りだった。

「その件については、こないだはっきり返事したと思うけどっ」
「お願いします。あなたにはその資格がある。あなたは特別な力をお持ちなのです。」
「何よそれ。ないよ、そんな超能力みたいなモンなんか。あんたに蹴り1発入れるくらいの力ならあるかもしれないけどね!」
「ですが、あなたは・・・・・・」

「お止めなさい」

男達の後ろから音もなく歩み出てきた人物は、そう言って目の前の男をさえぎると、ゆっくりした動作で、私のほうを振り返った。
「少し・・・・お話できませんか?」
透き通るようなその麗人は、風が吹くような儚げな声でそう言った。


数分後、私達は近くのカフェにいた。

その人物は夢の守護聖だと名乗った。 本当だったら信じられないようなできごとだけど、あたしはすぐに信じたね。 だって、その人ったら本当に妖精物語から飛び出してきたかのように、綺麗で、文字通り現実離れした、夢みたいな姿をしていたんだ。

「あなたで良かった・・・・。」 微笑むと、ため息のように細い声でその麗人は言った。
「ちょっと待ってよ。あいつらにはもう何度も言ったけど、あたし、そんな気全然無いからね。まだここでやりたいことがあるんだ。すまないけど、他を当たって頂戴。」
「でも、私は、あなたにお願いしたい。」
「・・・・・・・?」
風にも耐えないような、か細げなこの夢の守護聖が、意外にもきっぱりと言い切ったことに、私はちょっと驚いた。
「あなたは夢がどんなものなのかを良くご存知だ。夢を熱望して、深く愛しておられる。あなたは他人の夢まで愛し、守れる方です。あなたに逢えてよかった。・・・・・あなたにお願いします。」
再び言い切られて私は少し慌てた。
「じょ・・・冗談じゃないよ。何勝手なこと言ってるのさ。こっちにはこっちの都合ってものがあるんだからね。」
夢の守護聖は透き通るような紫の瞳を、私のほうにまっすぐに向けた。切ないくらいに悲しげな眼差しだった。
「何さ・・・・・そんな目で見たって、無駄だからね。」
「夢が脅かされています。」
「・・・・・・・・・・・ん?」
夢の守護聖は淡々とした口調で語り始めた。

「私のせいです。急激に力が衰えて・・・・もう私には守りきれません。夢が蝕まれてゆくのを、手をこまねいて見ていることしか出来ないのです。
夢というのは両刃の刃なのです。夢を追っているうちは楽しい・・・・幸せです。それが叶わぬと思った瞬間に、夢は自分を責める鞭となるのです。叶えられなかった自分を責め、貶めて、そこに不幸が忍び込むのです。嫉妬、憎しみ、自己卑下・・・・・。人の心の弱さに付けこむ黒い力が、勢いを得て夢をむしばむのです。この黒い心は残念ながら私にもあります。あなたにもあるはずです。」
ため息をつくと、夢の守護聖は再び顔をあげ、私の目をもう一度はっきりと見つめた。
「だけど、あなたなら気づいているはず。 本当は夢は終わらないのです。今日叶っていないからといって、それは終わりではない・・・・それはまだ、途中なのです。捨てなければ夢はいつまでも続くのです。」
麗人は病的に白い頬を紅潮させて熱っぽく語った。

「それで・・・・あたしにどうしろって言うのさ。」

「迷い無く夢を信じるものが必要なのです。挫折や悲しみに負けず、顔を上げてまっすぐに明日を見つめる、そんな魂だけが人々の夢を守れるのです。どうか・・・・あなたの愛する人のために・・・あなたの愛するすべてのために・・・・・。」

「一つ、聞いてもいいかな。」
私は乾いてかすれる声で訊ねた。
「どうぞ。」
「あたしでなければ、どうなるのさ?もしあたしが、それでもいやだって言ったら?」
「なるようには、なります。 ・・・・そう、 サクリアだけなら、他にも候補者はいます。ですが、違うのです。サクリアではない。本当に大切なのは魂なのです。」
そこまで言うと、夢の守護聖はかすかに衣擦れの音をさせて立ち上がった。
「すみません。言いたいことはそれだけです。」
ゆっくりと背を向けかけた夢の守護聖の線の細い肩を見つめている内に、私の中にある思いが駆け抜けた。

もしかしたら、彼も中途半端に打ち切られた夢を大事にずっと抱えているのかもしれない。
そうやって彼は、ひたすら他人の夢を支えてきたのかも知れない。
そうして、彼が守ろうとしてきたその夢の中には、私やココの夢も・・・・・・きっと入っている・・・・。

「OK!分かった。私がやる。」
椅子から立ち上がりながら、彼の背中に、私はそう答えていた。
「・・・・・全部、私に任せて。」








そして、結局、私はこころを決めた。
最初にあの夢の守護聖を見た瞬間から、何となく、自分はそうするだろうという予感があった。
正直言うと、最近うすうすだけど自分の中に訳のわかんない妙な力があるってことに、気が付き始めてもいた。自分に納得させるのに時間は必要だったけど、結局なるようになったわけさ。


ココは私の愛情をうたがってないみたいだった。
疑うわけがなかった。だって、本当のことだもの。
そして、私が大事な話があるって切り出したとき、あの子はものすごく嬉しそうな顔をしたんだ。

「なーに?話って?」
無邪気に聞かれるとめちゃくちゃ心が痛んだ。
だってこれから私は、・・・・あんたのことを裏切ろうとしてるんだから。

「驚かないで聞いてくれるかな。」
「うん。」
私の言葉にココは素直にうなずいた。

「実はね、遠いところに行くことになっちゃってさ。」
「一緒に行く!」
間髪いれずに、一瞬でココは答えた。 私の心臓が柄にもなくまた、ずきりと疼いた。

「ごめん。あんたは連れて行けない。」
「じゃあ、待ってる!」
またしても、即答だった。全くもう、どうにかなっちゃいそうだった。

「・・・・・ごめん。帰って来られないんだよ。」
私は何とか笑顔をつくろうと、搾り出すように言った。

「遠いところに行くの・・・?付いてっても、待っててもいけないの・・・・?」
ココの目が真剣になった。
それはもう、幼い少女の目じゃなかった。真剣に誰かを愛している女性の目だった。

「オリヴィエは、そこに、行きたくて行くの?」
長い間を置いて、再びココが聞いた。
「難しいことを聞くねえ。・・・・・でも、行かなきゃいけない、と思ってる。」
「それってもしかして、オリヴィエの夢のため?」
「そう・・・・だね、多分。」
これは嘘じゃあなかった。世界一のデザイナーになる夢は、ちょっと棚上げすることになるけれど、夢は一つじゃなくてもいいはずだからね。

「じゃあ・・・・あのキスは?」
ココの大きな目が、まっすぐに私を見た。
私は、まっすぐにココの目を見返して、そして、こう言った。
「大好きだよ。あんたのことは、心から愛しいと思ってる・・・・・妹、みたいに・・・・・。」



「分かった!」
ニコっと微笑むと、ココが元気良く言った。

「ちょっと待ってて!」
そう言うと、ココは勢い良く部屋に飛び込んで行って、何やら包みを引っ張り出してきた。
包みの中は柔らかな黒のジャケットだった。軽やかな生地で、細かいところまで心をこめて丁寧に仕立てられたものだった。
「これ・・・着てね。 明日オリヴィエの誕生日でしょ。あたしね、ちょっとずつ作ったの。ちょっぴりへたくそだけど、初めてだからいいか、って思ったんだ。 まさか・・・・・まさか最初のプレゼントが最後になるなんて思わなかったからさ。」
笑顔で話しているつもりが、ココの目からはもう涙の粒が溢れ出しそうになっていた。
その、最初の一粒目が零れ落ちた時、ココは私を見て言った。
「思いっきり泣いてもいい?」
「いいよ。」
私の返事を待たずに、ココは声を上げて泣き出していた。



一晩中泣いて、泣きつかれたココは眠ってしまった。

店の権利書やちょっぴりしかない貯金は、全部この子の名義に書き換えてくれるように聖地の連中にたのんであった。
私は僅かな荷物の中からリュートを取り上げると、ココの寝顔に向かって、お別れに弾いた。
ココが一番気に入ってた曲。
ココは最後まで曲名をちゃんと覚えなかったけど、これは、デュ・フォーのリュート組曲って言うんだよ。
弾いているうちに、不思議なことに私まで涙がこぼれてきたんだ。
そんなつもり、なかったのに・・・さ。

多分、ものごころついてから、私が泣いたのはその時が、最初で・・・・最後だった。


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