<シーソーゲーム.4>
4.気がつけば誰とも話せなくなっていた・・・・。
ホテルへ戻ると私はまっすぐにヒスイの部屋に向かった。
「・・・どうだった?」
「あなたの言うとおりでした。この国にディスクを持ち込んだのはクロフォード教授ですね。無くなってかなり焦ってるみたいでした。」
「彼らの研究はどこまで進んでいたと思う?」
「・・・まだ実用にはほど遠いんじゃないかと思います。新しい培養液の話を持っていったら興味を示してましたから・・・・恐らく細胞実験の途中段階だったと思います。」
私の言葉にヒスイは満足げにうなずいた。
「すごいね。医者の役をやらせても弁護士に成りすましても君は本職顔負けなんだからね。知識だけじゃこうはいかない・・・・役者になれるよ。」
褒めてくれてるつもりのヒスイの言葉は、実は棘のように私の心を突いていた。
いつもなら聞き流すだろう言葉に、私は思わず顔をしかめていた。
「からかわないでください。・・・・こんなこと自慢にも何もなりはしない。」
「・・・・ルヴァ?」
「おかしいですよ、こんなの。・・・・本当のことより嘘の方が上手にしゃべれるなんて・・・・。」
「・・・・・驚いたね。」
ヒスイは本当に驚いたように瞳をまるくすると、私の顔を覗き込んだ。
「君は普段めったに自分の気持ちを話してくれないからさ。・・・・・ちゃかしてすまなかった。君にはつらい任務だったんだね。」
素直に詫びられてみると、今度は私のほうが急速に後ろめたい気持ちになっていた。
それはヒスイのせいじゃない。言って見れば自業自得だった。
「すみませんでした。文句を言ったわけじゃないんです。他に取り立ててできることがあるわけでもないのに・・・・忘れてください。」
ヒスイはもう一度微笑むと、ポン、と私の肩に手を置いた。
「教授の件は、後は私が引き受けよう。三日もあれば必要な情報はすべて手に入るだろう。ディスクもここに長く置くのは危険だ。・・・早めに切り上げて、ここは引き払うとしよう。」
「三日・・・・ですか?」
「充分だろう?・・・他に何かあるかい?」
「・・・・いえ・・・・・。」
・・・日曜日はあさってだった。
何とかぎりぎり、嘘つきにならずにすみそうだった。

部屋に戻ると私は希釈した消毒液で両手を何度も洗った。
ヒスイに突っかかったのは間違いだった。本当は贅沢を言えた筋合いじゃない。
ヒスイは何かにつけて私をかばってくれている。
私はそれを知っていて、・・・・分かった上でそれに甘えていた。
こんな仕事をしていれば何が起こるか分かったもんじゃない。相手を傷つけたり、場合によっては殺さなきゃならないことだってある。私自身、一瞬で相手に致命傷を与える方法をいくつも教え込まれた。仲間の多くはもっと危険な、非情な任務を与えられているはずだった。
ヒスイはなぜか私にはそういう仕事を持ってこなかった。
ヒスイは私が故郷を出て、初めて出会った「人間」だった。
小さな船に押し込められ、長い長い航海の果てに連れて来られた四角い部屋。
乗客のほとんどは、まだ年端も行かない子供たちで、親兄弟と引き離され、不安におののいていた。それが、一人また一人と名前を呼ばれ、迎えに来た赤の他人に引き取られていく・・・・。
その先に何が待っているのか、誰も分かりはしなかった。
今にして思えば、あれはまるで体のいい人身売買みたいだった。
仲間達の泣き声をうつろに背中で聞き流して、私はひとり壁にむかって膝をかかえていた。
「やぁ。・・・・君がルヴァ?」
後ろから声をかけられても、私は黙りこくったまま振り向きもしなかった。
カッ、カッと 靴音を響かせて歩み寄ってきた青年は、壁際まで来ると、ふっと腰をかがめて、私と同じ目の高さから私を見て笑った。
「・・・・私についておいで。」
・・・・あれからもう10年が過ぎた。
私はヒスイからいろんなことを学んだ。ヒスイは私に何一つ強制しようとしなかったけど、私は逆に何一つ彼に逆らおうとはしなかった。訓練の時間を除くほとんどの時間を私は本を読むことに費やし、ヒスイはそれを黙って許した。
やがて私は彼の仕事を手伝うようになった。
彼が某国の諜報部隊幹部であることを知っても、自分と同じようなメンバーがヒスイの下に他に8人いるのだということを聞かされても、私はまったく心を動かされなかった。
たまに他のメンバーと組まされたことがあって、・・・・そのとき私は自分がほとんど必要なこと以外他人と口をきけなくなっていることに気がついた。
自分にも、他人にも、興味が持てない・・・・。
私の時間は故郷を出たあのときに止まってしまったようだった。
――― 「あなたも使ったんですか?」
少女の声が唐突にも耳元でよみがえった。
――― 「あなたは・・・その・・・使っ・・たんですか?」
驚いたことに、自分からも聞き返してしまった。
なぜだか分からない・・・・ただ、なんとなく・・・。
私は無意識にポケットをさぐって、小さなビニール袋をつまみ出した。
消毒液を含んだコットンを閉じ込めたビニール袋の封は切られていなかった。
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