地の館にオリヴィエとゼフェルは来ていた。
―――理由は見舞い。
寝所の傍らで本人の眠りを妨げないようにヒソヒソと二人の守護聖が囁きあう。
「なあ・・、ヤバくねーか?」
「・・全く、シャレになんないね・・」
始め、気にも留めなかった違和感だったものは徐々に、だが確実にその質量を増し・・
今でははっきりとした疑惑へと名を変えて二人の思考にどっしりと居座る。
蒼褪めた顔。
滞りがちになる執務。
そのくせ、微塵の陰りも窺わせない表情。
はぐらかし真相に辿り着かせない会話。
ふら付く体。
格段に落ちた体力。
だが・・心底よりの笑みを見せる
まるで・・体力の代償のような・・
そして・・
ルヴァは今日、たった十数分とはいえ・・
とうとう完全に意識を失った。
偶然、傍に居たオリヴィエとゼフェルがルヴァを私邸へと運び、オリヴィエが医者の手配をしている間に、ゼフェルに頼んでルヴァは暫く執務を休む旨を伝えさせた。
診立てによれば衰弱が激しいらしい・・
聖地(ココ)に於いては異常とも云える程に。
お世辞にも安らかとは云い難い寝顔を見詰めながら、渋い顔でそれぞれ考え込む。
執事のウラも合わせて採った。
その予想を裏切らない答えに・・
二人は苦く唇を噛んだ。
この時点で"疑惑"は"確信"へと再び変わった。
―――もう、限界だった。
「――今晩、コイツがココを抜けるようなら・・尾行(つけ)る・・よ。」
「・・おう・・。」
声を顰めて相棒に囁けば・・
言葉少なに・・・彼は応えた。
恐らく・・それは、
ルヴァのプライベートに土足で踏み込む行為・・決して褒められたモノではない。
だが・・
護るべき者を護る為に・・
罪悪感など幾らでも笑って潰してみせる・・・
昏々と泥のように眠るルヴァの傍らで・・・
―――二人は決意を固めた。
薄い・・だが、幾重にも重なる雲に覆われて月の明かりさえも心許ない
その夜遅く・・
地の館の主がそっと褥を抜け出すのを確かめると二人は、無言で手筈通りに付かず離れずの距離を保ちつつ、彼を尾行(つけ)る。
ルヴァの足取りは半病人、いや・・既に病人と言って差し支えない状態であるにも拘らず驚くほどしっかりしている。
こちらがゼフェル特製の暗視グラスを装備しているからこそのスピードをルヴァはややもすると越えてしまいそうになる
この闇の中で灯り一つ提げてないのに・・だ。
何を見ているのか皆目見当も付かない瞳。
仮に何かを見ようとしたとしても・・・
漆黒(ぬばたま)と称してもなんら差し支えないこの夜景の只中では何の役にも立たない筈だ。
にも拘らず危なげない足取りはいっこうに衰える兆しさえみせない――
・・・まさか夢魔?
ふいにオリヴィエの脳裏にある単語が浮かぶ
牽引(ひ)かれているとしか思えないその速さ。
精気を吸い取られているとしか思えないルヴァの症状。
何より魅入られている所為に違いない・・
その柔らかなルヴァの微笑みは・・・夢魔が、より実在していた根拠のように思える。
――全く、嫌な予感ばっかり当たってくれちゃっても、ちーっとも嬉しかぁ無いんだケドねぇ―――
ちらりとそんなことを考えながらもオリヴィエの大部分を占めるのは――怒りだった。
夢魔は恐らくルヴァの弱った心に取り憑いて旨い汁をとことん吸い切るつもりだろうがそう簡単に思い通りになぞさせるものか。
何より"夢"なら私の領分(テリトリー)でもある。
侵されたままで、『はいそうですか』
・・なんて言ってやるほどワタシはお人好しじゃない。
「ちょお、ストップ。」
「なんだよ!行っちまうだろっ」
「"ニオウ"から・・放出(だ)して視るわ・・」
オリヴィエの軽い口調とは正反対の真剣その物の・・・滅多に見せない思い詰めた表情は、ゼフェルに言葉の意味を悟らせるには十分だった。
すなわち・・・夢に関係したモノがルヴァを操ってる恐れがあるから・・
サクリアで探りを入れるということ・・だ。
――私事にサクリアを使うのは大小に関わらずもちろんご法度で・・バレたら結構ヤバい・・ってのは"ココ"に居る奴なら誰だって知ってる。
当然、普段のコイツはやるわきゃねぇよ・・な。
それを敢えてやるってぇ事は只事って奴じゃねぇ・・ってこった――
ゼフェルは遠ざかりつつある影を追って行きたい気持ちを懸命に殺し、一つ大きく頷いた。
「よしっ、ヤレば出来るじゃないのっ」
見事に決まったウィンクを投げるとニッと唇の端を微かに上げ、今度は自分の番とばかりに意識を寄せる。
―――いくら当人が否やを唱えようとも・・引っ叩こうが蹴倒そうが目を覚まさせて真っ当な恋でも何でもさせなくちゃ。
その資格がルヴァにはあるんだから・・・
『本気(マジ)の私を舐めたら高くつく』
って事を教えてあげなきゃ・・ね。――――
――慎重に引き寄せるのはルヴァについてる一本の糸だ――
まだまだ・・だよっ・・
―――あやふやなヴィジョンが克明に映像を結び始める―――
もっと・・そう・・
ルヴァの半歩手前で薄紅の桜の花弁がまるで蝶のように彼を案内している
そして・・よくよく目を凝らせば蝶道よろしくか細い道標が夜の大気に溶け込んでいる。
その先・・・揺らいだ空間に確かに不可視の細い糸は繋がっていた。
・・・・・・見えた!
「行くよっ!」
「おう!」
先回りをすべく駆け出したオリヴィエに
ゼフェルも応えて並び駆ける――。
辿り着いた其処では今しもルヴァが"紗"の中へと入る所だった。
ルヴァは蕩けるような笑みを溢すとガクリと態勢を崩した。
その身体を支えるのは・・・
二本の腕ではなく、櫻の花弁を散りばめた春の夜風。
その夜風を従えて佇むのは――一人の異形。
彼女の名を知るものはもうこの地でも両の手の指で足りてしまう・・
呆然とするオリヴィエの代わりをするように傍らのゼフェルがポツリと呟いた。
「―――アンジェリーク?」
オリヴィエの予感は・・・
ある意味、ありがたい事に外れたのだ。
彼女は『夢魔』ではない・・
だが、それよりも何倍も手強い存在であるのは決定的だった。
―――彼女は『夢魔』ではなく・・
『鬼』なのだから。