<幻櫻鬼6>





ぐったりと意識を無くしているルヴァに櫻の風が纏わり付く。
彼の身体は重力の頚木が無いが如くに風によって支えられていて・・
よくよく見れば、地面に足が届いていない。

そして・・その傍らにはかつて―――
アンジェリーク。とオリヴィエがゼフェルが・・・ルヴァが呼び親しみ、宇宙を護る長であった者。
彼女はルヴァに微笑み、白い腕を差し伸べてそっと首筋に宛がう。
唇が少しずつルヴァのそれを求めるべく移動していく・・

その在り得ない状況を呆然と二人は眺めていた。
が・・このままではいけない・・

「・・ねえ、陛・・じゃないよね?
・・普通の女の子に・・戻ったんだよね・・
お願いだから、放してやってくれないかな」

「なあ!!、そんなの、おめぇらしくねーよ・・放してやれ・・・やってくれよ・・本当におっさんを思うなら・・よ」


逸早く我に返った夢の守護聖がかつて敬い仕えていた主へと呼掛け、次いで鋼の守護聖も声を発した。

・・・特別鋭い角や牙があるわけじゃない。
けど、彼女を知る者が知ったままの姿の彼女を見れることこそが異常。
とっくに"土に還りしモノ"で居なければならないほど既に下界の刻は経っている。

「あんたが此処にいる(存在する)為にルヴァの命はそれこそ散る花の勢いで儚くなっちゃってるんだよ」
「よお、おめぇは確かに別に悪いことをしようって気があるわけじゃなくってもおっさんにとっちゃ"毒"になっちまってるんだ。」

かつての部下とも同士とも呼べる守護聖達の視線と言葉に・・
今・・始めて気が付いた・・といった風にアンジェが注意を向ける。
だが・・彼らに向ける視線は、どこか無機質めいていて・・あらゆる感情もその瞳に宿っては居なかった。
女王だった頃とも、またそれ以前のとも全く違って・・・。

ツイッ――とゆびを軽く無造作に滑らせるとたちまち風が立ち・・鎌鼬(カマイタチ)になって二人の守護聖を取り巻く。

「おい!目ぇ覚ませよっ!――クッ」
「っ。あんたは・・それを・・望んでいるの?
本当に?」

ゼフェルを咄嗟に庇いながら
あくまでも穏やかに諭すオリヴィエ。

その頬には、いつの間にか微かに赤い筋が引かれている。


・・・彼女の本質を知っているから。
真実の彼女なら・・愛する者を危機に晒すなど、どう転んでも出来ない相談であったから・・
変質などしていない――オリヴィエは、そう信じた。

彼女とて・・この天地の理(あめつちのことわり)を導く者として慈しみの翼を広げていたのだから・・

いや、そんな理屈ではなく・・
自分のよく知る彼女こそが彼女の本質だったのだと信じたかったのだ・・



所詮、彼女に残された時間はそう多くない――。
オリヴィエの身の内に溜まるサクリアが告げる・・
それでも尚留まるというのなら
このままでは"異質なモノ"としての彼女は、ルヴァだけでなく聖地全体にまで悪影響を及ぼすと。

だから、
一刻も早く輪廻の環へと還るべきだ――と。


叶うなら・・オリヴィエとしても、彼女がルヴァを元へ来ることを赦してやりたかった。

ルヴァがあの微笑を取り戻したのは・・
彼女が居たからだと今ではもう何の疑問も無く知っているから・・・

だが、ルヴァの身はその為に命を否応なしに削られていく・・・
例え本人が喜んでその状態を受け入れているのだとしても、彼女の傍にいるだけでも危険に晒されるルヴァを・・・
理を乱して暴走している彼女を・・
これ以上赦す訳にはいかなかった。

彼の同僚として・・友として。
もしくは・・彼女に対する一人の男として。

かつて、その瞳・・美しき新緑の如しと讃えられたアンジェの眼差しにオリヴィエの視線が絡み付く。

翡翠ガラス色の瞳に初めて曇った感情が揺れる・・
何かと戦っているのか・・
苦しげな表情が彼女の顔を覆う。

オリヴィエは・・只・・待った。

そして・・信じた。
信じること・・
それこそが何らかの力になる。と・・・

ただ・・それだけだった。






どれほど後であっただろう・・

アンジェは、哀しそうなそれでいて何か・・吹っ切れたような淡い微笑を頬に刻むと・・小さく頷いた。


揺れた眼差しは定まり・・

突然に巻き起こった風は
同じように突然に止む。

―――オリヴィエの願った通りに。


軽く・・触れるだけの掠めるような接吻を愛する人に贈るとアンジェは、首に廻していた腕をそっと解いて・・
ルヴァをトンッ。と軽く突いた。

まるで・・目には映らない境界線からルヴァを引き離し・・護るように。




オリヴィエとゼフェルがグラリと揺らいだ身体を抱き抱えるように支える。
今までの無重力から通常の引力に晒された所為でか・・
それとも、その境目を越えたことによってか・・・
ルヴァの意識が戻り・・うっすらと・・周りにそれと解らぬ位に目を開けた。

霞む脳裏を振り払うように僅かに頭を振ると、抱えられたまま・・搾り出すように、 音になりえぬ言を紡ぐ。

『・・・貴女は何一つ・・悪くない。
悪いのは・・・過ちを犯したあの日の自分。
弱くて・・臆病で・・本当に望んでいたことさえ隠して・・
貴女を・・独りで逝かせてしまった私です。
だから・・行っても・・いいですか?』

それは・・問い掛けの形をとった揺るがぬ意思。

・・それが通じたからこそアンジェは何度も弱弱しく首を横に振る。
と、同時にタイムリミットを知らせるかのようにアンジェの足元から光の粒が湧き出し・・包んだ。

音無き音が辺りに撒き散らかされて見る者の肌に伝わる・・
アンジェの身体が・・・まるで現れた時のフィルムを逆回しにスロー再生させたように次第にその輪郭をあやふやなものにまた・・戻していく。
光の粒が一つ弾け二つ弾け・・そのたびに桜の花弁がアンジェを構成する髪や指先ととって替わる・・ そしてそれすらも闇へと溶けるように消えて行くのだ・・


『だめっ・・来ないで・・こっちに来ちゃいけない・・・いけないのよ』

音としての言葉はルヴァ達には届かない。

どれほどそう云いたくとも
アンジェの喉は・・・もう、音を紡ぎ出す能力(ちから)を持っては居なかったので。

けれどそんなことはルヴァにとって大したことではなかった
必死に言い募る仕草が、唇の動きがちゃんと意味をルヴァに伝えている。

だが・・彼の答えは彼女の願いを裏切った。
柔らかく微笑むと・・
はっきりと・・こう云ったのだ。
「もう二度と・・独りにはさせません
愛してる・・私の・・アンジェリーク・・」



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